加沢記 巻之四⑩ 長井坂鎌田阿曽合戦金子美濃守敗北する事並愛宕利生之事

加沢記 長井坂鎌田阿曽合戦金子美濃守敗北する事並愛宕利生之事
加沢記 長井坂鎌田阿曽合戦金子美濃守敗北する事並愛宕利生之事

主な登場人物

北条氏邦

今度こそ沼田をゲットだぜ!

恩田越前守

長井坂の城で襲ってきた北条氏邦の大軍を迎え撃つ…!

矢沢頼綱

戦は勢の多少によらず…!

軍謀一心に在ッ!

加藤丹波守

鎌田の城を北条の大軍から…命を軽んじ義を重んじ、木戸を固め弓鉄砲にて相防ぐッ!

金子美濃守

終わりの来ないような戦いも、今宵は休戦して祝杯をあげる…!?

内容

『加沢記』今度の章は冒頭からいきなりバトルシーンのアツイ展開ですね~。

 後半では加沢記の真の主人公である“アイツ”が大活躍するよ~!

 お楽しみに!!

 

………

 

 天正10(1582)年10月上旬のこと…長井(長井坂)の要害に恩田越前守が在番していると…

 

――ドドドドド…――

 

恩田「!?」

 

長井坂城兵「…た、大変だ~!…南の方から北条の大軍が…」

 

――💥💥――

 

長井坂城兵「()∵. グハッ!!」

 

――ゴゴゴゴゴ――

 

氏邦「…ククク…今度こそ沼田をいただくぜ!…まずはこの城からだッ!…かかれッ!!」

 

 氏邦の軍は長井坂城を二重三重に取り巻き、その数5,000余の多勢で鬨(とき)の声を「どッ」とあげました…!

…その声は谷や峰に響き渡り、まるで天地が崩れるのではないかと思われるほどでした…!

 

恩田「…!!…」

 

………

 

恩田「北条…何という数だ!…我らはわずか200余人…ヤツらの10分の1にも満たない戦力では…戦いようもない…!(原文:僅に二百余人にて籠りければ、十が一にも足らざる小勢にて可戦様なければ)

 

――スゥッ…――

 

恩田「…千喜良…オレは城を枕に腹を切る!…準備を…(原文:城を枕として腹切べし)

 

 恩田の言葉を聞いた郎党の千喜良与兵衛は…

 

千喜良「…不甲斐ないことを…そんな弱音を吐いてねぇで、例え何万騎に取り囲まれようが、思い切って斬り込むべーじゃねーですか!…そんでスキをみて逃げましょうぜ!(原文:云甲斐なき事かな、譬へ何万騎にて取巻たりとも、一先切て出させ給て、ひまを窺ひ落給へ)

 

…と励ましました…!

 

 これを聞いた恩田――元々武勇の聞こえ高い勇士――は…

 

恩田「💢あぁン?言ってくれんじゃねえか千喜良~!オレだってよ~……実はそう思ってたトコだぜ~!(原文:我も左右こそ思ひつれ)

 

千喜良「(ニヤリ)」

 

 千喜良の言葉で奮起した恩田は300余人(なぜか人数も増えている!)で一気に城外へ切って出ました…!

 

北条兵「(llД)うわああッ?」

 

…と、城を取り囲んでいた北条勢はビビッて四方へと退去してしまいます…。

 

 この様子を見た房州(北条安房守氏邦)は…

 

――ズッ…――

 

氏邦「テメーら!…ナニ勝手に要害から逃げてんだコラァ!…オラ旗本ども!…オメーらも攻めるんだよォォ!(原文:何とて要害を巻ほぐしたるぞ、旗本を以て可責)

 

…と自ら出馬し、北条勢も一気に長井坂城を攻めました…!

 

 これに対する恩田は木戸を開き…

 

恩田「おもしれえじゃねえか北条~!…テメエがその気ならよォ~…コッチもトコトンやってやんぜコラァ~!!」

 

…とカウンターで全軍突撃をかまします…!

 

    ――⚔️――

 

恩田「うう…流石に劣勢か…」

 

氏邦「ギャハハ…押せ押せ~!」

 

         ――⚔️――

 

恩田「ココだ!…踏ん張れ!」

 

氏邦「ぬうう!…少し下がって立て直しだ!」

 

 ――⚔️――

 

恩田「今だ!…突っ込め~」

(原文:少し引色に成りければ、敵追かけ来れば、又踏留て相戦ひ)

 

 ――💥⚔️――

 

北条兵「∵・(´ε(( グハァ!!」

 

氏邦「…ひ、怯むな…押せェッ!!」

 

    ――⚔️💥――

   ――⚔️💥――

 

恩田兵「)3)∵. グブゥ!」

 

…こうして追撃、撤退を7~8度繰り返し、戦いは続きました…!(原文:追つ巻つ、七八度戦ひければ)

 

 恩田が率いる長井坂城中の兵はほとんど残らず討たれてしまいましたが、氏邦が率いる敵方の兵も500余人が討たれるという激戦でした…。

…そして日が暮れ、恩田は木戸を堅めて籠城しました…。

 

千喜良「…生き残った兵は…もはや10人もいませんね…」

 

恩田「この少人数では裏門から逃げるのは無理だな…こうなったら正面から出て、敵に紛れて逃げるしかねえ!(原文:かく小勢にては裏門よりは落がたし、敵に紛れ可落)…大手門を開けッ!!」

 

――ガバッ!――

――ドドドドド…――

 

――!?――

 

北条兵A「…ば、ばかな?…正面から?」

 

北条兵B「よ、夜討…

――ズドドドド…――

 

…北条方の見張りが夜討ちを知らせるよりも早く、恩田たちは3,000余騎の真中を一文字に割り入り突っ切っていきます…!

 

北条兵C「…!?…アレは…」

 

――ドドドドド――

 

北条兵C「…お、オレはあの顔を知ってるぜェ~!…アレは長井坂の城将“恩田”だッ!!…絶対に逃がすなァァ―ッ!!(原文:恩田也、余すな)

 

…その兵は恩田の郎党、千喜良与兵衛に斬りかかります…!

 そして恩田に気付いたほかの兵たちも…

 

北条兵D「ギャハハ…手柄首だ~」

 

千喜良「…チッ、やべえな💧いったいどうすれば

 

――💡――

 

千喜良「おい馬鹿!…同士討ちするんじゃあないッ!!(原文:同士討すな)

 

北条兵D「(ピタッ)…え?」

 

北条兵C「ば、バカ…騙されるな…」

 

――ズドドドド…――

 

北条兵C「…あ~クソ💧恩田を見失ってしまったぜ

 

…こうして千喜良与兵衛の機転により、恩田越前守は北条方数千の囲いを抜けて落ちていきました…。

 

氏邦「…ふぅ…恩田能定…なかなか手強い敵であったわ…よし!…ブン獲った長井坂は宮田の須田加賀守に任せるぜ!…あと現況はどんな感じだ?」

 

部下「は…阿曽の要害には金子美濃守が、鎌田の城には加藤丹波が在城しています!」

 

氏邦「よーし、みんな聞けッ!…見てのとおり長井の城は攻め落としてやったぜ~!…これから森下(鎌田)と阿曽の両城もソッコーでブン獲ってよぉ~、倉内も年内には攻め落としたるべえぜ~!!(原文:長井の城は責落たり、森下の城、阿曽両城を不日に乗捕、倉内をも年内に可責落)

 

一同「おーッ!!」

 

…氏邦は5,000余騎を二手に分け、鎌田と阿曽へ向かわせます…!

 鎌田へは猪俣能登守の2,000余騎、阿曽へは上泉主水と難波田主税介の2,000余騎が押し寄せ、氏邦自身は1,000余騎で川額の台に陣取りました…。

 三将は同時に鎌田と阿曽の両城を取り巻き、鬨の声を上げ、一斉に斬りかかります…!

 

――その勢いは、まるで百千万の雷が一度に落ちるような…――

 

…すさまじい戦いになりました…!

 

 この事を聞いた薩州(矢沢頼綱)は…

 

頼綱「(ピクピク💢眼の前で味方が取り囲まれてピンチに陥ってるってんじゃあよォォ~!コイツは放っておくワケにゃあいかねえよなあああ!!(原文:眼前に味方取こめられ、難義に及処に、其侭には差置がたく)

 

――ゴゴゴゴゴ…――

 

頼綱「…こうなったらオレ自らが打って出てよォ~、氏邦のヤロウと“有無”を賭けた勝負をしてやるぜッ!!💢(原文:自身切て出て、氏邦と有無の勝負を決せん)オレの鎧を持ってこい!武装だッ!!」

 

――ガシャ!――

  ――ガシャ!!――

 

 _人人人人人人_

 >  カッ! <

 

――ガシャン!―― 黒絲緘の鎧…

――ジャキン!―― 鍬形打の兜…

――スチャッ!―― 3尺5寸の青貝作りの太刀と1尺8寸の打刀をクロス…

――ビシッ!―― 9寸5分の鎧通…

 

…そしてッ!!

…その手には父、棟綱入道より賜った滋野重代の神器『小焼松(こたいまつ)』ッ…!!

 

頼綱「…戦いは軍勢の多少なんかじゃ決まらねえ!…軍謀一心だぜ!!(原文:戦は勢の多少によらず、軍謀一心に在)

 

――次回『無敵守護神YAZAWA』戦慄の沼須原…お楽しみに!――

 

頼綱「…今こそオレの元に一体となれ…500余騎の兵たちよ!!…(原文:五百余騎を一手になし)

 

――ズオオオッ!!――

 

頼綱「行くぜみんなッ!…“車掛り”だッ!!(原文:車掛りに可掛)

 

…10月21日午の刻!…ついにッ!…我らが守護神YAZAWAの出撃だァァーッ…!!

 

――その頃…月夜野台(川田の屋形原)では――

 

幸直「…ふッ…矢沢のジイサマ…ついに出撃か…」

 

 祢津助右衛門尉幸直が200余騎で月夜野台に旗を立て…

 

幸直「オレも命令があれば、すぐに落合の瀬を渡って応援を出すぜッ!!(原文:御下知あらば、落合の瀬を渡し後詰せん)

 

――沼須の原…矢沢の陣では――

 

部下「…!?…何者かが弁慶石の淵を泳いで渡ってきます!」

 

頼綱「…アレは…」

 

 それは、祢津幸直が使者として送った平井加兵衛と出惣右衛門の2名でした…!

 

頼綱「…ふ…助右衛門のヤツめ、粋なマネを…」

…と喜んだ薩州は…

 

頼綱「もし敵がフンバッてよ~、味方が怯むようなことがあれば貝を吹くからよ~…そしたら加勢に来い(原文:若、敵踏留て相戦、味方気後れば貝を吹ベし、其時後詰有ベし)…ってオレの孫婿(幸直)に伝えてくれ!…頼んだぜ!」(川を泳いで伝言をさせられる部下も大変だな~…)

 

 さて、頼綱の陣がナントカ太皷を打ちながら控えていると、北条方の猪俣は…

 

猪俣「チクショウ💢沼田のヤツらめ~あんなチットンベエの人数とはいえよォ~……あそこ(沼須)にいられるとイライラするぜ~!!」

 

…と、手勢2,000余騎のうち、500騎を鎌田の城に当たらせると、残りの1,500余騎を引き連れて、片品川を渡り、頼綱の陣を襲いました…!

 

頼綱「…ふッ…来たか猪俣…返り討ちにしてくれるわ…!!」

 

 猪俣の軍に対し、薩州(頼綱)の500余騎は“車掛り”の陣で応戦します…!

 戦いのなか、猪俣勢は一度に崩れて退きますが…

 

猪俣「クッ…これしきの軍勢に負けてたまるか!」

 

…猪俣邦憲はなんとか踏みとどまってこらえました…!

 

頼綱「ギャハハッ!!…猪俣~!…ずいぶんガンバってんな~オイ!!…そのガッツに免じてよォォ~、オレが自らブッ○してやるぜ~!!」

 

…薩州(頼綱)は真っ先に進んで猪俣勢を追い、彼らを突き倒していきます…!

 

――ピカッ――

 

猪俣の家来「…うわッ!…なんだ!?…眩し…」

 

 ――💥ドスッ!――

 

猪俣の家来「ぐぎゃああ!!」

 

………

…こうして半刻ほどが過ぎた後…

 

猪俣「…ば、バカな…わずか半刻の戦いでオレの郎党たち、それも屈強のヤツらが……じゅ、17人も!?……矢沢頼綱1人のために…」

 

 頼綱が率いる500余騎の兵も、あちらこちらで敵を討ち、300余騎の首をブン獲りました…!

 

頼綱「(フム…とりあえずは我らが優勢だが…戦いが長引けば小勢のオレに勝ち目はないな…)」

 

………

 

頼綱「よーし!…オマエら勝鬨を上げろ~!!」

 

沼田衆「おーッ!…ヒャッハー!!👏イエェ~イ!!🙌

 

頼綱「そして討ち取った首を沼須の原に晒せ~!」

 

沼田衆「…お、おーっ…(ゾ~ッ😱)」

 

…そして、頼綱は砥石明神の社の前に馬を繋ぎ待機しました…。

 

 この経緯を聞いた北条安房守(氏邦)は…

 

氏邦「(クソ~💢矢沢め猟奇的なマネをしやがって~!これじゃあ兵がビビッて戦にならねーぜ)」

 

部下「…あ、あの…矢沢が率いる沼田衆への追撃は…いかがいたしましょう…?」

 

氏邦「…倉内攻めは明日だ!……あ…あしたやって…やらあ!(原文:明日倉内を可責)

 

…こうしてその日の戦いは終わりました…。

 

 さて翌22日…須田加賀守は鎌田の城へと押し寄せ、二重三重に取り囲んで攻めました…!!

 

 鎌田城を守る加藤丹州(丹波守)は…

 

加藤「…ふ…ココで終わりか…しかしオレの命など軽いもの…」

 

………

 

加藤「“義”の重さに比べればなッ!!…さあ木戸を固めろ!…そして弓と鉄砲で敵の侵入を防ぐのだッ!!」

 

    🏹🏹🏹ビシュッ!ビシュッ!

  ―💥――パァーン!

   ―💥――パァーン!

 

須田「…く、ひるむな!…防壁をブチ破れーッ!!」

 

 ――⚔️💥

  ――⚔️💥

 

加藤「うおおおッ!…敵の侵入を許すなーッ!!」

 

  ―💥⚔️――

   ―💥⚔️――

 

北条兵「グハッ!…();’.、」

 

――敵が攻め入れば押し出す…こんな戦いが数刻続きました――

 

…そして……

 

加藤「…弓は折れ、矢は尽きた…そして、入れ替わる兵も…もういない……これまでか…(原文:弓折れ矢尽き、入替る勢はなし、是迄なり)

 

 💥ブスッ―――…ビィィ

 

加藤「…~ッ💢

 

  |

  |

  |ズッ💥

 

――加藤丹波守(鎌田城主)…腹を十文字にかき切り自決――

 

…さて、加藤丹波守がピンチの際、なぜ矢沢頼綱率いる沼田衆は動かなかったのか?

 

…それは……

💭💭💭💭💭

 

沼田衆「…ああッ!?…鎌田の加藤さまが危ない!…沼田からも応援に行きましょう!(原文:沼田より加勢有ベし)

 

 しかし、これを聞いた薩州(頼綱)は…

 

頼綱「…いいかオマエら…昨日オレたちがケチョンケチョンにしてやった猪俣が、今日もまた軍勢を出していやがる!…ヤツは昨日の恥をすすごうとしてやがるんだぜ…(原文:昨日猪俣後れをとり、今日又勢を出しけるは、昨日の辱を雪がんとの事成ければ)

 

………

 

頼綱「…オレたち小勢が、ヤツら大勢に付き合って真向から戦ったって、いいコトなんて何もないぜ…(原文:此小勢にて、彼が大勢に合ひ防戦せんこと益なし)

 

沼田衆「…ううッ…」

 

頼綱「…オレたちは、策略を駆使して敵を討つしかねえんだ!(原文:唯、表裏を以て討にはしかず)――加藤…許せよ…――」

 

💭💭💭💭💭

…このようなことがあって、この日、頼綱は軍を出さなかったのです…。

 

 いっぽう、氏邦もまた、この日は軍を出さず、長井に籠城していました…。

 

氏邦「今日は(須田が)鎌田の城を攻め落してやったぜッ!……次はいよいよ、倉内を攻めてやるべーぜ~ッ!!(原文:今日鎌田の城を責落しければ、近日倉内を責むベし)

 

北条兵「おおーッ!!」

 

………

 

…そして翌10月23日のこと…

 

 金子美濃守(泰清)は、阿曽の要害に500余人を従えて在城していました…。

 

 泰清は部下たちに…

 

泰清「…こんな時代(乱世)だ…オレたちは仏や神に祈りを捧げる暇もなく、朝から晩まで軍法計略にとらわれて年月を送っている…(原文:斯く乱世なれば、仏神を祈り奉る事もなく、旦暮軍法計略のみにて、徒に年月を送るなり)

 

………

 

泰清「…しかしだ…今宵は二十三夜…こんな夜くらいは戦いを忘れて、神仏に祈ろうではないか…!(原文:幸ひ今宵は二十三夜也、奉祈ベし)

 

部下たち「おーーッ!!」

 

泰清「うむ…終わりの来ないような戦いも、今宵は休戦して祝杯をあげる……酒を持てェーッ!」

 

………

🍶🍶🍶

 

泰清「♪ドラーゲナイッ!…ムーンライ!…せーじぼさッツ!…今宵~…僕たちは月待ちして踊るんだ♪…ヘイ!!」

 

部下たち「🙌イイぞーッ!!やッすきよ!👏やッすきよ!👏

 

…こうして人々は寄り合って、酒宴などをして遊びました。

 

…しかし、宴もたけなわ、夜半になった頃…!

 

…一方の木戸を守っていた金子の妹聟、大淵勘助は…

 

大淵「…ふぃ~…みんな盛り上がってる時に見張りなんてやってらんねーよ…はやく交代にならねーかな…ん?…アレは…」

 

………

 

大淵「は…はうあ!!!

 

――ドドドドド…――

 

大淵「た…大変だーッ!!」

 

泰清「あ💢!?ンだよ?せっかく盛り上がってる時によ~」

 

大淵「バカヤローッ!…宴会なんかしてる場合じゃねーッ!!」

 

………

 

大淵「みんなもッ!…アレを見ろッ!!…城の外を見ろッ!!…白井の原をよく見ろォォーーッ!!(原文:人々よ、城外、白井の原を見るに)

 

泰清「だからなんだッつんだよ、ッたくよ~💢……ん?」

 

………

 

泰清「は…はうあ!!!

 

大淵「あの数千のたいまつの明かりが、雲霞のように寄ってくるのを見ろーッ!!…どうみても氏邦の夜討だバカヤローッ!!(原文:焼松数千明し連れて雲霞の如くに寄来る、必定氏邦夜討と見へたり)……宴会してる場合じゃねーーッ!!」

 

泰清「ひ…ひえーーッ!!😱

 

大淵「と…とにかく戦いの準備を(原文:其用意し給へ)…美濃守のアニキ、頼みましたぜ!」

 

…こう言い捨て、大淵は守備を担当する木戸ロヘと帰っていきました。

 

 しかし、既に北条は猪俣を大将に2,000~3,000の兵で要害に迫っていました!

 

 猪俣は阿曽城をその兵で二重三重にとりまき…

 

猪俣「よーし!…こないだの恥をすすいだるべーぜ!…オメーら鬨を上げろ~!…行くぞーッ!!」

 

北条兵「うおおーッ!!」

 

――ズドドドド…――

 

 夜襲なんてまったく想定していなかった阿曽城兵は…

 

城兵A「ギャ――!!」

 

城兵B「と、とにかく鎧を…」

 

城兵C「バカそれはオレのだ…」

 

城兵D「イヤ違う!…オレんだよ…!!」

 

――ビリリィ(鎧が裂ける音)――

 

 あるいは…

 

城兵E「太刀と長刀を寄こせーッ!」

 

城兵F「コッチにも早く…オイ!…それはオレが使うんだよ!」

 

城兵G「バカ…危ないから引っ張るな…あ」

 

――スパッ💥ドビュー(出血)――

 

城兵F「あ…ゴメン💧

 

城兵G(死ーん)

 

 あるいは…

 

城兵H「と、とにかく馬を出せーッ!!」

 

――ペシッ(鞭)――

 

馬「ヒヒーン!」

 

――ビーン!(馬に縄つないだママだった~)――

 

城兵H「うわッ?」

 

――ドチャア(馬から投げ出される音)――

 

城兵H「ズコーッ!!」

 

………

 

泰清「だ…だめだこりゃ(原文:此体たらくにては軍は不叶)

 

金子(泰清)は家来の三橋甚太郎を…

 

泰清「オイ…三橋…バックレるぞ🤫

 

三橋「は?…ハイ…(マジかよこのヒト…)😰

 

…と召し連れて岩を伝い降り、やっとのことで川を渡り、沼須の郷、海応山に着きました…。

 

金剛院の住寺「!?…美濃守さま、いったい何が?」

 

泰清「住寺!…悪いが匿ってくれ~😭

 

…泰清が寺に隠れたまさにその時、月が山の端から顔を出しました…。

 

泰清「💧(アッブね~もう少しで月明かりに照らされちまうトコだったぜ)」

 

――泰清が去った阿曽城では…――

 

大淵「くッ!…美濃守のアニキはどこに行った!?」

 

星野「ううッ…兵がこんな状態で、指揮官も不在ではとても…」

 

…大淵勘助と星野図書が、北条の大軍相手に必死で戦いましたが…

 

 ――💥ズドッ!

 

大淵「…ぐふぅッ!…ば…バカヤロ―……」

 

  ――💥ドバァッ!

 

星野「…ああクソ!…油断…しすぎ…」

 

――大淵勘助、星野図書…討死――

 

 さて、金子美濃守は、金剛院でその夜を明かしましたが…

 

氏邦「クソッ!…やっと阿曽を陥落させたっつーのに…城将の金子を討ち漏らしちまうとは💢(原文:金子を討漏したる事無念也)

――💡――

…そういえば、金剛院に逃げ込んだヤツがいるとかいう噂を耳にしたな…(原文:金剛院に落人ありと見へたり)

 

………

 

氏邦「よしッ!…5,000の兵で金剛院を取り囲めッ!!…ヤロウを草の根分けても探し出すんだーーッ!!」

 

――こうして氏邦は大勢をもって金子美濃守を探させましたが、ついにその行衛をつかむことはできなかったのでした…――

 

………

 

――金子美濃守泰清、当時のことをのちにこう述懐す…――

 

泰清「いや~、さすがにあん時はもうダメかと思ったけどよ~…ホラ、オレって若いころから愛宕をよく信仰してたじゃん?…田北の原(滝棚)に宮を建立しちゃったりしてさー(原文:若年より愛宕を信心し、田北の原に宮を建立したりけるが)

 

………

 

泰清「そんで万鬼齋さまが没落したあの乱(実はオレも一枚噛んでんだけど…テヘッ)からコッチ、愛宕の御神体を海応山(金剛院)に安置しといたのよ…北条から逃げきれたのも、ひとえに愛宕の御加護のおかげカナ?(原文:万鬼齋御没落の乱より以来の兵乱に依て、愛宕の御神体海応山に安置したりければ、偏に愛宕の御加護による)…なーんてネ💗

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原文

天正十年十月上旬、長井の要害に恩田越前守在番したりければ、南方より氏邦出張して二重三重に取巻、五千餘の多勢にて鬨をどつと上ければ谷峰に響渡り天地も崩るゝ斗なり。恩田は僅に二百餘人にて籠りければ十が一にも足らざる小勢にて可戦様なければ城を枕として腹切べしと、郎等の千喜良與兵衛に申しければ、云甲斐なき事かな、譬へ何萬騎にて取巻たりとも一先切て出させ給てひまを窺ひ落給へと申しければ、恩田は元より聞ゆる勇士なれば、我も左右こそ思ひつれとて、三百餘人一度に切て掛れば敵崩れ立て四方へ退去したりければ房州曰、何とて要害を巻ほぐしたるぞ、旗本を以て可責とて馬を被出ければ一度にどつと掛りければ恩田木戸を開て切て出て散々に相戦ひ、少し引色に成りければ敵追かけ来れば又踏留て相戦ひ、追つ巻つ七八度戦ひければ城中の兵不残討たれければ、敵も五百餘人討れけり。かくて日も暮ければ木戸を堅めて籠城す。死残たる兵を数ふるに十人には不過けり。かく小勢にては裏門よりは落がたし、敵に紛れ可落と、大手の門を推開き、一度にどつと出ければ敵夜討ぞと云より早く三千餘騎の真中を一文字に乗割り通りければ敵味方と確に見知りたる者あつて、恩田也餘すなと言葉をかけ、郎等の與兵衛へ切掛れば與兵衛同士討すなと云捨て数千の囲を落たりけり。長井の要害には宮田の住人須田加賀守に被預けり。かゝりける處に阿曽の要害には金子美濃守立籠る、鎌田の城には加藤丹波在城也ければ氏邦諸手へ被下知て長井の城は責落たり。森下の城阿曽両城を不日に乗捕、倉内をも年内に可責落とて五千餘騎を二手に分、鎌田と阿曽へ被押寄ける、鎌田へは猪俣能登守二千餘騎にて押寄る、阿曽へは上泉主水、難波田主税介、二千餘騎にて押寄たり。氏邦は一千餘騎にて川額の台に控て居たりけり。三将同時に両城を取まき時の聲をあげ一度に切て掛る勢は百千萬の雷の一度に落が如くにて、すさまじかりし戦なり。薩州此由を聞き眼前に味方取こめられ難義に及處に其儘には差置かたく自身切て出て、氏邦と有無の勝負を決せんと、黒絲緘の鎧に鍬形打たる甲の緒を〆、三尺五寸の青貝作りの太刀に一尺八寸の打刀十文字に横たへ、九寸五分の鎧通に父棟綱入道より賜りたる滋野重代の小焼松と云手鑓提げ、戦は勢の多少によらず、軍謀一心に在とて五百餘騎を一手になし、車掛りに可掛とて、十月二十一日午刻に打出で給ければ祢津助右衛門尉、二百騎にて月夜野台に旗を立て御下知あらば落合の瀬を渡し後詰せんとて沼須の原へ平井加兵衛、出惣右衛門、両人、弁慶石の淵を為泳、使者に遺しければ薩州喜悦し給て、若敵踏留て相戦味方気後れば貝を吹ベし、其時後詰有ベしと返答し〇〇太皷を打て控居られければ、猪俣こらへ兼て二千餘騎の内、五百騎引分、鎌田の城を守らせ、残る千五百餘騎引連れ、片品川を渡し切て懸れば薩州五百餘騎、車掛りに掛り、しばし戦ひけるが、猪俣が勢一度に崩て引ければ邦憲踏留て戦しが薩州真先に進て追かけ、突伏し程に半時計の戦に猪俣が勢、家の子郎等究竟の兵十七騎突伏せ給ければ、五百餘騎の兵も爰かしこにて分捕して首三百餘討とり、勝鬨を作くり討とつたる首は沼須の原にかけ置、砥石明神の社の前に馬を披立ける。北條安房守此由を聞給て、明日倉内を可責と披申、其日の軍は止みにけり。同二十二日に須田加賀守、鎌田の城へ押寄、二重三重に取巻、責ければ加藤丹州、命を軽んじ義を重んじ、木戸を固め弓鉄砲にて相防、攻入れば追出し、数刻の戦に弓折れ矢尽き、入替る勢はなし、是迄なり迚腹十文字にかき切てぞ失にけり。此時沼田より加勢有ベしと諸人申せば、薩州被申けるは、昨日猪股後れをとり、今日又勢を出しけるは、昨日の辱を雪がんとの事成ければ、此小勢にて彼が大勢に合ひ防戦せんこと益なし、唯表裏を以て討にはしかずとて軍を不出けり、氏邦も軍を不出、長井に籠城なりけるが今日鎌田の城を責落しければ近日倉内を責むベしと軍評定有しに二十三日のことなりしに、金子美濃守は阿曽の要害に五百餘人にて在城なりけるが金子人々に申けるは、斯く乱世なれば仏神を祈り奉る事もなく旦暮軍法計略のみにて徒に年月を送るなり、幸ひ今宵は二十三夜也、奉祈ベしとて人々ぞ寄合酒宴などして遊びけるが、夜半斗に一方の木戸を堅めける金子が妹聟大淵勘助一ッ息に成て来り、人々よ城外白井の原を見るに焼松数千明し連れて雲霞の如くに寄来る、必定氏邦夜討と見へたり、其用意し給へと言捨て、請取の木戸ロヘぞ立帰る。斯りける處に猪俣大将にて其勢二三千程にて要害へひしゝゝと附、二重三重にとりまき時の聲をどつとあげたりける、城中には思も不寄事なりければ鎧一つに二人三人取つき、我の人のと争ひ、或は太刀長刀にも取付、引合ければあやまちするも多かりけり、或は繋たる馬に打乗たる族もあり、此体たらくにては軍は不叶とて金子は三橋甚太郎一人召連れ岩を傳ひ下り、漸く川を渡り沼須の郷海應山に着けば、住寺立出内へ入れければ、月は山の端にぞ出にける、大淵勘助、星野図書踏止て散々に相戦ひ、華やかに打死をぞしたりけり。金子は金剛院にて其夜を明しけるに、氏邦は金子を討漏したる事無念也、金剛院に落人ありと見へたりとて、五千の勢を以て金剛院を取巻、捜しけるが金子が行衛は知れざりける。金子若年より愛宕を信心し、田北の原に宮を建立したりけるが、萬鬼齋御没落の乱より以来の兵乱に依て、愛宕の御神体海應山に安置したりければ偏に愛宕の御加護によるとぞ申しけり。