加沢記 巻之二④ 海野長門守同能登守吾妻郡代

加沢記 海野長門守同能登守吾妻郡代
加沢記 海野長門守同能登守吾妻郡代

主な登場人物

海野幸光

 長門守。

海野輝幸

 能登守。

 せがれの中務太夫(幸貞)は矢沢頼綱の婿。

源三郎信幸

 武藤喜兵衛尉昌幸の長男として誕生。

 のちの真田信幸。

 吾妻編は前章までの調略、裏切り、死…といった描写の後、彼の誕生という神聖な出来事を以て締め括りとなる…。

内容

 この章は簡単にいうと海野幸光と海野輝幸の兄弟が吾妻郡代になるというタイトルまんまの話なんですが……最後の部分でまた加沢平次左衛門の演出のスゴさを垣間見ることになります…。

 

 永禄9(1566)年、海野長門守幸光と能登守輝幸の兄弟は、信濃国で幸隆の世話になっていましたが、前の年に公方の足利義輝が三好義継に〇されたこともあって、この頃は諸国の武士が動揺し兵乱が多発していました…。

 

信玄「このまま岩櫃にいつまでも真田を置いとくのももったいねぇなぁ…信州のほうも心配だしなぁ…」(原文:岩櫃に真田被指置ては信州の儀も無覚束)

 

…と、信玄は真田父子を呼び出します…。

 

信玄「…つーワケで真田~…吾妻に置いとくのに適任なヤツ…誰かいねぇきゃ?」(原文:吾妻には誰を差置可然哉)

 

真田父子「前に齋藤(憲広)を懲らしめたときにウチらに忠信した(つーか寝返った)海野長門守の兄弟なんかどーすかね?」(原文:先年齋藤御誅罰之節御忠信申たる海野長門守兄弟可然)

 

信玄「…あ~…アイツらね……まぁとにかくその方向で段取り頼むわ…」(原文:兎も角も計給へ)

 

…というワケで、海野幸光と輝幸の兄弟は吾妻郡代を任されました。

 浦野、植栗、湯本、鎌原、西窪、横谷にも御領が与えられました。

 

 海野兄弟の配下として付けられたのが…

 富沢、唐沢、蟻川、塩谷、山田、桑原、鹿野、上原、一場、高橋、小淵、中沢、田中、伊熊、茂手木、荒牧、川野、田村、ニノ宮、割田、高山、町田、青柳、豊田、中村、井上、川合、佐藤、山遠岡、蜂須賀、福田、片山、赤沢、神保、木部…合わせて70余騎でした。

 

 能州(海野輝幸)の長男である中務太夫(海野幸貞)は矢沢頼綱の婿でしたので、大戸真楽齋の嫡子である太郎と鎌原筑前守の両人も海野幸光の婿に仰せつけられました。

 この部分は姻戚関係のバランスを取ったって意味ですかねぇ……つーかここまでやっても悲劇は防げなかったのか…(後の話ですが)

 

 こうして海野兄弟は岩櫃に住んで吾妻地方を守護していましたが……

 

信玄「最近よ~…長尾(謙信)のヤツが越州から出兵して北条の氏康と国を争ってやがんな~…吾妻のほうも心配だぜ…」(原文:長尾殿従越州及出張北条氏康と争国折柄なりければ吾妻の事無覚束)

 

…と武藤喜兵衛尉昌幸に年に一度、吾妻へ出張してもらうことになりました…。

 

…その年、源三郎信幸公が信州小県郡の砥石城旗山というところで誕生しました…!

 母親は正親町大納言の娘と噂されています…(ホンマか?)。

 お守役には川原と丸山が付けられました…。

 

 

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原文

永禄九年海野長門守幸光、同能登守輝幸兄弟は信濃国にて幸隆の介抱にて有けるが、去年公方義輝公は三好が為に被殺給けるは諸国の武士そばたちて兵乱頻り也ければ、岩櫃に真田被指置ては信州の儀も無覚束とて信玄公真田御父子を被召、吾妻には誰を差置可然哉と被仰ければ真田畏て、先年齋藤御誅罰之節御忠信申たる海野長門守兄弟可然と被申上ければ、兎も角も計給へとて幸光、輝幸兄弟被仰付、浦野、植栗、湯本、鎌原、西窪、横谷、御預ケ有、其外富沢、唐沢、蟻川、塩谷、山田、桑原、鹿野、上原、一場、高橋、小淵、中沢、田中、伊熊、茂手木、荒牧、川野、田村、ニノ宮、割田、高山、町田、青柳、豊田、中村、井上、川合、佐藤、山遠岡、蜂須賀、福田、片山、赤沢、神保、木部合七十余騎手の者に附ける、能州の長男中務太夫は頼綱の聟也ければ、大戸真楽齋嫡子太郎、鎌原筑前守両人幸光の聟に被仰付也、兄弟岩櫃に居住有て守護し給ひけるが、長尾殿従越州及出張北条氏康と争国折柄なりければ吾妻の事無覚束被思召、武藤喜兵衛尉昌幸公奉りて今年より壱年に壱度宛吾妻へ出張也、其年源三郎信幸公信州小県郡砥石の城旗山と申処にて誕生ある、御母は正親町大納言の御女と聞へけり、守の人は川原、丸山を被附たり。