遷流寺の笠塔婆

 遷流寺の境内にある笠塔婆です。

 元は阿弥陀山川田寺にあったものを、昭和25(1950)年に遷流寺に移したものだそうです。

 建てられた年代は寛喜2(1229)年でしょうか。

刻まれている文字

正面

 利根三殿入佛乗

 諸佛護法西勧進

 南無阿彌陀佛 源空

 上根下根皆解脱

 故願往生安楽國

 

三面

  夫當山者永歴元年十月之比利根三殿還

 圓珠於紅葉岡草創而号川田寺賜依於願而

 開山者本師源空上人二代者則御弟子源智

 上人與三代圓珠後於血脈記本師上人滅後

 慈鎮和尚之送賜所之御遺骨其法衣奉納

 於塚中是名日岡之御旧跡古往圓珠保元

 比有甘勤事参内恭従二条院賜龍田之紅葉

 又開基者二位政子依望而進其号以手向山

 之紅葉而賜一於其證於今二本盛於其中

 間而奉作是塚為一守護職以川田沼田両家

 而必莫令退轉至迄於種子加與詩栄々子々

 孫々

  寛喜二年 春彼岸中日

  准三后太夫

刻文の大意

 この寺は永歴元(1160)年10月の頃、利根三殿を移して、円珠が紅葉岡(もみじがおか)に草創して、川田寺と号した。

 開山は源空上人、二代はその弟子である源智上人、三代目は円珠である。…

 円珠は保元(1156~1158年)の頃、宮中に参内し、二条天皇から龍田山の紅葉の樹を賜った。…賜った紅葉は2本、今ここで盛っている。

 川田と沼田の両家は、必ず種子に至るまで退転してはいけないこと、加えて、詩を子々孫々まで栄え興すこと。

 

参考文献

田原芳雄 平成24(2012)年 『謎解き郷土の中世史』郷土文化研究会

平井光雄 平成13(2001)年 『名刹川田寺と圓珠尼関係資料』

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