加沢記 巻之四④ 昌幸公滝川殿へ出仕

主な登場人物

真田昌幸

織田体制の元、新しい関東管領のところに出仕するが…

滝川一益

ジョークのセンスがよくない。こりゃ和歌の師が必要だネ!

内容

『加沢記』…前章はとても心温まるお話でしたね。

 さて、今回も短い章ですが、ココは群馬のみんなが大好きな“たきがぁ”さんのネーミングセンスが見どころですね。

 

 信長は、武田が領していた国を、さほど時間もかけず采配し直しました。

 そして、関東の管領として、滝川左近将監一益が上野群馬郡厩橋の城にやってきました。

 武州と上州…もと武田の領国の者たちは残らず彼のところに出仕しました…。

 

 真田昌幸も信州と上州の両国に領地があったので、厩橋へ出仕し、滝川一益と対面しました…。

 

滝川「おう真田~…オメーたしか以前は“武藤喜兵衛”っていう名前だったよな~?(原文:貴老は承及候、以前武藤喜兵衛殿にてましゝゝけるよな)

 

昌幸「はあ…」

 

滝川「今回の戦いで武田は没落しちまったけどよ~…オメーはピンピンしてらいな~…てかオメー“喜兵衛”ッつーより“鉄兵衛”どのなんじゃね?(ドヤァ)(原文:今度武田御没落に無恙ましますは、鉄兵衛殿にて候よ)

 

――シーン…――

 

昌幸「…あは…ははは💧コリャ一本取られましたワうわ~つまんねー)」

 

 その頃の沼田の城は、甲州の乱に乗じた北条からカチコまれていたので、藤田信吉は越後へ逃げていました…。

 そこで沼田の城には、一益の甥である滝川儀太夫が城代として居住することになりました。

 滝川は国中から人質を出させましたが、真田から人質は取りませんでした。

 なぜかというと、既に信幸の姉ちゃん(村松殿)が人質として尾州安土へ差し出されていたからです…。

 

 

――姉ちゃん…ありがとう、姉ちゃん――

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原文

信長公武田の分国無程御仕置有て、関東の管領にとて滝川左近将監一益を上野群馬郡厩橋の城に被移けり、武州上州武田の分国不残出仕を被遂ける、昌幸公は信州上州両国に御領地有ければ厩橋へも出仕を被遂ける、一益厩橋にて対面有し時滝川被申けるは、貴老は承及候以前武藤喜兵衛殿にてましゝゝけるよな、今度武田御没落に無恙ましますは鉄兵衛殿にて候よと座鋪の興に被申けると也、其頃沼田の城は甲州乱に依て北条殿へ被押領、藤田信吉も越後へ浪しければ、沼田の城へは一益の甥滝川儀太夫を城代に被居ける、滝川は国中の人質を捕けるが真田よりは人質はなかりけり、是は信幸公の御姉子様を人質に尾州安土へ進上有けるに依てなり。