摩多利尊社(まだらそんしゃ)

 摩多利尊社は、下川田の中央、俗に摩多利神山という麓にまつられています。

 堂宇は二間三間の平屋建で、堂の中に石宮があります。(普段は開かれていません。開かれるのは毎年4月と9月の祭日だけです。)

 御神体は三面六臂の姿であり、疫病除けの神として信仰の対象となっています。

 摩多利尊神は付近に類のない神で、江戸時代に疫病が流行した際、西国から勧請されたものと伝えられています。

 明治時代に講中ができ、石段下の平地に、お籠り堂まで造られたそうです。(現在お籠り堂は撤去されています。)

 毎年4月、9月の春と秋の2回祭典が行われれ、遷流寺のご住職によりご祈祷が行われています。

 以前は下牧(現みなかみ町下牧)の神力院や、沼田市坊新田町の金剛院に出張していただき、護摩を焚いて祈祷を行っていたそうです。

 

 境内には、成田山不動尊が勧請され、堂の北側に末社としてまつられています。

 お不動さんの台座には「明治34年9月建立」と刻まれています。

 なお、『川田村誌』には「講の盛大の頃明治四十一年春祭には、本山修験の採燈大護摩の修法があり賑わいを呈した。又此時境内に成田山不動尊を勧請して、堂の北側に末社として、石造を以って祀られた。」と書かれています。

 どちらが正しいのですかね。

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