天正十年十月大合戦有に依て、昌幸公倉内へ御馬を被寄ける處に、川田地衆悉く氏直公へ忠節して、中山へ引退たりと、禰津の家臣小林文右衛門書付を以て幸直へ注進したりける、其文
覚 下川田衆
星野三右衛門 田中源之允 鈴木市之丞 今井源介 笛木四郎太郎
石上與十郎 平井新右衛門 同 加兵衛 同 彌藤五郎 深津戦之丞
同 源四郎 笛木新五郎 以上十二人
上川田衆
武井藤右衛門 大竹六郎左衛門 服部新五郎 大竹與惣左衛門 同 五郎左衛門
同 新右衛門 藤塚甚三郎 同 市之丞 大竹彌兵衛 鈴木右馬介
佐目貝 與兵衛 以上十一人
都合二十三人今月二十□日引退き、中山赤見山城守に属したり、此外数多申合候者、重て方便を以て承り届け注進可仕と申遣しければ幸直驚き薩州に見せられければ薩州昌幸公の御目に掛られければ幸直に御褒美の詞有て後尚又此後氏直へ忠節の族有之ば、不日に注進可申と仰られけり。依之文右衛門日夜心を碎きけり。
山名主計頭、登知圖書、兩人御過□とて領地三ヶ一を沒收せられ、溝口笹尾の兩郷、二十五貰文之所を幸直に賜り、上川田にて十貫文、渡邊左近丞に賜りけり、幸直悦にたへず右拜領地の内五貫文を割て小林文右衛門に賜る、昌幸公は急速信州へぞ歸り給ける。