天正10(1582)年10月、猫城で敗退した沼田勢に対して、今度は北条氏邦が攻撃を仕掛けてきます。
沼田城代の矢沢頼綱は、長井坂城に恩田越前守、鎌田城に加藤丹波守、そして阿曽城には金子美濃守を配置してこれに対抗しますが…
既に長井坂城は落とされ、10月21日の鎌田城の戦いでは、北条方の先鋒である猪俣能登守邦憲に対し、沼田の大将である矢沢頼綱が自ら打って出て追い払います。
矢沢頼綱は猪俣能登守邦憲に対し善戦しましたが、翌22日、先日の戦いで長井坂城を占拠していた須田加賀守の軍が鎌田城を二重三重に取り囲みます…!
鎌田城を守る加藤丹波守は、命より義を重んじ戦いますが、ついに弓折れ矢尽き入れ替わる勢もなく、「是迄なり」と腹十文字に切って果ててしまいます…。