道雲入道。
11月の夜明け前、須賀香股へ旅立った…。
粉雪よ止まないで、手のひらに消えないで…羽尾アホで声にならない…。
巻之二のスタートは羽尾入道のお話です。彼は海野兄弟(幸光と輝幸)の兄になるわけですが、まだ齋藤方の人ですね。
『加沢記』では割と「うかつ」なキャラとして鎌原にコケにされている彼ですが…一体この章ではどーなることやら?(ヒント:タイトル)
永禄6(1563)年11月…この年は雪が厚く深く降り積もり、人や馬が通る姿も見られませんでした。
羽尾入道は一安心し…
羽尾「…この雪じゃあ戦闘も起こんねーやな~…月末だしさぁ…加勢加番(援軍や警備役)のヤツらをいったん帰らせべーじゃね」
…と、警備を60人以下まで減らしました…。
しかし、この情報は敵に嗅ぎ付けられてしまいます…。
鎌原「…アイツ(羽尾)…前からアホだアホだとは思ってたけど……ここまでアホだとは…。…つーかさぁ…マジで!?……アホすぎて実はワナなんじゃねーのかって疑うわコレ…」
(ネタバレ:ワナじゃありません)
鎌原「ま…まぁとにかく、羽尾のヤロウをぶっ〇すには今が絶好のチャンスだぜッ!」(原文:此度羽尾を討に若くはあらじ)
鎌原は甘利と祢津の援軍を得た300余人の軍勢で、11月27日の夜中に羽尾の館へ押し寄せ、鯨波を「どっ」と上げました…!
羽尾「ゲェーッ!!…か…鎌原ッ!?…こ、こんな大雪の中を攻めてくるなんてーッ!!」
羽尾入道は驚いて、取る物も取り敢えず、妻女を連れて徒歩で用害を逃げ出し、須賀香股峠のほうへ落ちていきました…。
…雪は深く、嵐は激しく、峠では手先が雪で凍えきり、かろうじて命だけは助った羽尾は、大戸の館に逃げ込みました…。
それから岩櫃へ行こうと思ったそうですが、横谷も鎌原の味方についていたので、それも叶わなかったということです…。
最後の「不叶とぞ聞えけり」って書き方がコワイですね…。
ちなみにこの後、羽尾がどうなったかについては、かなり後の海野兄弟が真田にアレされるところの章まで語られません…。
永禄六年十一月の事也けり雪厚深に降り積り人馬の通もなかりければ、羽尾入道心易く思ひ月廻の事也ければ加勢加番の者共皆々在所へ返し手勢五、六十人には過ざりけり、鎌原此隙を伺此度羽尾を討に若くはあらじとて甘利、祢津の手加勢の侍同心して其勢三百余人、十一月廿七日の夜半斗に羽尾が館へ押寄鯨波をどつとあげたりければ、入道驚さばいて取ものも取あへず妻女召連かち立にて夜半斗りに用害を逃落須賀香股峠懸り落たりけり、雪は深し嵐はげしくて峠にて手づゝを雪にやきもかれがらゝゝ命助り大戸が館にぞ落たりけり、岩櫃へと心懸たりけれども横谷も鎌原と一味してければ不叶とぞ聞えけり。