YAZAWAのオジキ!!
オジキよ~~っ
あンたの武運(うん)を
わしにくれ!!
……信幸に
やってくれ~~っ
――今
YAZAWAの胸中に
ひとつの言葉が去来する
……右馬介
右馬介よ……
おめぇの武運(うん)を
わしにくれや
……滋野にくれや
………!!
それは
まさしく
未だ
YAZAWAの中に棲む
海野幸義の
絶句であった
『加沢記』、今回の章はタイトルのとおり、真田昌幸が矢沢頼綱に沼田と吾妻を託すという短いお話です。
――おねがい☆YAZAWA
『もう一度滋野』
必ずチェックしてね、最優先事項よ。――
天正10(1582)年の夏、昌幸は伯父である矢沢薩摩守頼綱に…
昌幸「オジキ~!…嫡子の源三郎信幸は17才、二男の藤蔵信為(信繁のこと)は15才、三男の源五郎(信勝?)に至ってはまだガキだしよ~💧…オレ上州のコトが心配でしょうがねーんだよ~😭(原文:御嫡源三郎信幸公当年十七才、御二男藤蔵信為公十五才、三男源五郎殿は幼少なりければ、上州之儀、無覚束存候)」
………
昌幸「矢沢のオジキ~!…どうか信幸を守って、そんで滋野の家を盛り立ててくれよ~!…この戦いで関東をシメて、一族安心して暮らしてーんだよッ!…オジキ~!!😭(原文:貴老信幸を守立、滋野の家を御立賜り候かし、何とぞ此兵乱に関東をも打平、一族安堵せん)」
…とお願いしました。
頼綱「…そうだな(原文:尤也)」
…と、頼綱は信幸を連れて岩櫃の城へと着陣しました。
頼綱は岩櫃の城に信幸を居城させ、池田佐渡守重安を城代とし、丸山土佐守、同七右衛門、出浦上総之助、春原勘右衛門尉を付けました…。
頼綱自身は倉内へと移り、沼田先方衆の発知、下沼田、久屋、ナントカ野井、岡谷、山名、金子、渡辺左近丞、石墨、宇楚井、鈴木主水、北能登守たちをはじめとし、中山と尻高も従えて、沼田に居城しました…。
天正十年夏比昌幸公は伯父矢沢薩摩守頼綱を御頼有けるは、御嫡源三郎信幸公当年十七才、御二男藤蔵信為公十五才、三男源五郎殿は幼少なりければ上州之儀無覚束存候、貴老信幸を守立、滋野の家を御立賜り候かし、何とぞ此兵乱に関東をも打平一族安堵せんと被仰ければ、尤也とて信幸公を御同道有て岩櫃の城に御着有りける、岩櫃の城に信幸公を居まいらせ、池田佐渡守重安を城代にて丸山土佐守、同七右衛門、出浦上総之助、春原勘右衛門尉を被差添ける、頼綱は倉内へ相移り沼田先方発知、下沼田、久屋、塩野井、岡谷、山名、金子、渡辺左近丞、石墨、宇楚井、鈴木主水、北能登守等を始として中山尻高相随い沼田にこそ被居ける。