『川田村誌』以外の説

後伏見院時代の円珠姫

 弘化5(1848)年に江戸で出版された『秀雅百人一首』では、円珠は沼田城主五郎家政の娘であり、活躍した年代は後伏見院時代(正和2(1313)年~文保2(1318)年)とされています。

 また、明治30(1897)年発行の『大八洲雑誌』という本のなかで、肥後の佐々豊永という人が投稿した「史談の圓珠尼の疑問」という記事によれば、熊本藩主細川侯爵家に仕えた沼田勘解由という人伝来の系図で、藤原姓沼田氏十三代の経家の妹に圓珠姫という人物がいたと紹介されています。経家は家政の子ですから、『秀雅百人一首』と同じことを言っているわけですね。