①まず、円珠姫の恩人でもある顕泰の奥さんは、『加沢記』では長野業正の娘となっています。(『加沢記』以外にも色々な説があります。)呼ばれかたが「曲輪御前(お曲輪の御前)」とは書かれているのは『古今沼田記』のほうです。息子の1人である朝憲の奥さんとも同じ呼ばれ方で紛らわしいですね。
②続いて、顕泰の長男は、上野介(こうずけのすけ)といって、光源院義輝(室町幕府第13代将軍である足利義輝)に仕えて、近江の国に領地をもらって京都に住んだそうです。この人は資料によって、いたりいなかったりします。
③次男の三郎は、関東管領上杉氏がいた平井城(現代の藤岡市)に出仕し、上杉憲政から一字もらって憲㤗と名乗り、白井城(現代の渋川市)の長尾氏の婿になりましたが、若くして逝去してしまいます。彼は不思議な力を持っていました。7歳の時、母親の曲輪御前と老神に行った際、岩に馬の絵を描いたら、それが実体化して近所の農地を荒らしまわったとか…まるで『ジョジョの奇妙な冒険』のスタンド使いです(第6部のボヘミアン・ラプソディーを局所的にした感じ?)。そして、ある高僧がその絵を繋ぎ馬に描き変えたら暴れなくなったとか…倒され方もアレに近い感じですね。ちなみにこの時、曲輪御前が詠んだのが「谷ふかみ たへぬ松風 浪の音 唯さびしきは 老が身ぞかし」の歌であり、『古今沼田記』の円珠姫とのエピソードにも繋がります。
④続いて、三男の六郎です。彼は下野国の佐野宗綱の一族である赤見氏の婿になりました。後のことですが、彼(赤見綱泰)の息子(赤見昌泰)が津久田の猫城(現在の渋川市)での戦いで戦死した真田方の武将である中山右衛門の後に、北条方として中山城(現在の高山村)に入ります。このことが、川田城を舞台とした真田と北条の激戦や、さらに後の名胡桃城での鈴木主水の悲劇のきっかけになったりします。この辺の話は「運命」を感じて、とても面白いですね。
⑤四男は弥七郎朝憲です。彼は隠居した顕泰の後を継いで沼田城主となり、厩橋城(前橋城)の北条弥五郎高広の婿になりますが、後に父親の顕泰に謀殺されて、そのことが川場合戦の引き金になるワケですね。
⑥弥七郎には妹がいて、長野業正のツテで安中城主の安中越前守へ嫁いだそうです。「安中の御前」と呼ばれていたそうですが、顕泰の女の子は(加沢記では)この人だけだったようですね。
⑦いよいよ末っ子の平八郎景義です。顕泰は出家して萬鬼斎と名乗り、沼田城を弥七郎朝憲に譲りますが、平八郎景義には領地の3分の1を分け与えたうえ、川場の屋敷で一緒に住むという溺愛っぷりです。この愛情が、後に悲劇に繋がるワケですね…。