信頼していた男に裏切られて傷心しているところに、また2人の男が言い寄ってきて揺れ動く心…ああ、「我が館へ御入候へ」と、容易く言える男に、なぜ私は付いていくのだろう?…そして、泣くのだろう…。
織田城介(信忠)の挑発的な手紙にキレ散らかす部下を見てツボる。
新府から故郷へ向けて旅立つ!…若干17歳にして母、姉、弟…そして新府に預けられていた滋野一族の女性や子供たちの命をその身に背負う…!!
信幸の軍の大将。やたら自決したがる。
『加沢記』の内容紹介、ようやく4巻ですね。
3巻の紹介には1年以上かかりましたが…さて、この巻は何年かかるかな…💧
この章の見どころは後半の真田信幸(信之)17歳の冒険ですね。女子もたくさん出てきますがメインのヒロインは母ちゃんです。
――天正10(1582)年の春、武田勝頼さまは信州諏訪郡にいらっしゃいましたが…穴山梅雪齋の謀叛により、諏訪から撤退されました…。これは当時の日記を私が書き写したものによるお話…『甲州御没落昌幸公御父子御働之事』です…。――
…さて、その頃しばらく諏訪に滞在していた勝頼は軍議を開き…
勝頼「…敵(織田)のヤツらが襲ってきたらよォ~…この“塩尻峠”でぶっ〇すぜ~!!…テメーら気合い入れろよ~!…オレん家(ち)の運命はよォ~…この一戦で決まるからよォ~!!(原文:敵襲来は塩尻峠を前に当て遂防戦、家運を一戦の内に一定可有之)」
…このように戦いの方針を決めた勝頼は、戦場となる場所の道の繋がりなどを確認して…
勝頼「(…こう来たら…こう守る……こう逃げたら…こう囲む……クククッ、早く来やがれ織田~…ブッ〇してやるぜ~!!…)」
…と、敵を待ち構えていたところ……
…2月27日のこと…
部下「…勝頼さまッ!!…た、大変です!!…甲府から飛脚が……」
勝頼「あ!?…いま忙しいのがわかんねーのか!…命運がかかってるって言ってんだろが!」
部下「…そ…それが……」
――――
勝頼「な…何だってェェーッ!?」
――飛脚が持ち込んだ驚愕の事実とはいったい…!?――
勝頼「…穴山梅雪が…離反…?」
家老たち「おい…詳しく聞かせろ!」
飛脚「ハイッ!……ガク((( ;゚Д゚)))ブル…
…一昨日…えーと25日の夜のことですが……ホラいま、穴山さまの奥さまと息子さまが…甲府にいるじゃないですか…(原文:一昨廿五日の夜、穴山殿の御内室御息達を…)」
………
飛脚「…そ、それで……江尻から穴山さまの兵士――それもみんな屈強なヤツら――が突然40~50人でやってきて……あの方々(梅雪の妻子)を連れていこうとしたんですよ~!!(原文:江尻より勝たる兵四五十人迎に参り、引取処を…)」
勝頼「…!!…な…アネキたちを!?…」
飛脚「…それを見た古府中の平民やら町人やらが200~300人も集まって、何とかヤツらを止めようと、しつこく追いかけたんですが…
――ガクガク((;OдO))ブルブル――
…ついにヤツらキレて、平民を20~30人も斬り〇しやがったんです~😭(原文:古府中の地下人町人等二三百人相集り、押留んと跡に続きけるを、返し合せ切散し二三十人討死…)」
………
飛脚「…斬り〇された以外の平民たちもビビッて四方へ逃げてしまいまして…それで……すみません!…お預かりしていた穴山さまからの人質を連れていかれてしまいました~!…😭(原文:其外の者共は四方へ逃去ければ無相違下山迄引取し)」
勝頼「…ポカーン(呆然)」
一門・家老「…ガビーン(愕然)」(原文:茫然として只アキレにあきるゝ計)
勝頼「…木曽や下伊奈のヤツらが敵になっちまって一大事だ…ってこの状況でもよ~…
…駿州のことは『梅雪齋がいるから』と……まだ安心してたのによォ~……
…アイツまでもが裏切ったっつーのかよ…!!(原文:木曽、下伊奈御敵に成さヘ一大事と被思召けれ共、駿州の事は梅雪齋ましゝゝければ先づ心安く思召されけれ、是をさへ御敵に成給へり)」
――ドゴォオ!――(壁に八つ当たりする音)
勝頼「…梅雪齋…アイツはこの勝頼とは義理の兄弟…だからこそ頼もしく思ってたのによォ~…
…オマエには駿州の守護を任せて、江尻城代の座だってくれてやっただろうがよ…
…そこでオマエ…国中の侍や土民から尊敬されてたじゃねーかよ…それなのに…(原文:梅雪齋、勝頼の御為に御兄弟の因ありければ、頼母しく被思召、駿州の守護に属し江尻に在城して、駿州一国の諸侍土民に尊敬せられ)」
――ゴン!…ゴン!――(壁に頭打)
勝頼「いったい何の不満があってッ!…このオレを捨てた!?…
…オマエ(梅雪)には惣領の家を倒そうなんて考えも…ましてや恨みなんかなかったハズだろう?…それともただの欲心で、義理を忘れちまったってのかよ!(原文:何の不足有て今怨敵の思をなし、惣領の家を倒し給ふ意趣も無く、又遺恨もなし、只欲心に義理を忘れたるなるべし)」
――その時、勝頼が今さらながらに思うのは…父、信玄の言葉ッ…!!――
勝頼「(…そうか……父は…信玄はッ!……あの時すでにヤツの…穴山梅雪齋の心根を…見抜いていたのだッ…!!…)」(原文:梅雪齋覚悟の角可有を、兼て信玄御了簡有けると也)
――それは…信玄が駿州の蒲原城を落とし、その土地を穴山梅雪齋に預けた時の事ッ!……思えば…信玄はあの時確かにッ…勝頼にこう言っていたッッ…!!――
信玄「…なあ勝頼~…穴山はオレの甥ッ子であり…それに婿でもあるけどよ~…(原文:穴山は我甥也、聟也)」
………
信玄「…アイツ(梅雪)…まさかオレたちを裏切るつもりはねぇとは思うけどよ~……心の底は欲深いぜ~……併せて“空も飛ぶんじゃねえか?”ってほどの血気盛んなヤツだからよ~……しまいにゃウチの敵になるかもな~…(原文:別心は有じと思へども、彼心底を考へ見に、第一欲深くして、扨又空をも可翔程の血気の勇士也、果は当家の怨敵と可成者也)」
勝頼「…ハハハッ!…まさか…」
………
――ああ…オレはなんて浅はかな考えを…
…思えば…父…信玄の代にヤツ(梅雪)の逆心が叶わなかったのは、父がオレたち子孫の為を思慮した結果、程なくヤツから蒲原を召放したりと……少しもヤツに心を許さないでいてくれたからだった…(原文:但信玄一代は逆心不可叶、子孫の為め大切の由被仰、無程蒲原を被召放、聊も御心免し給はざりけるに)――
――父…信玄が逝去した後……オレは長篠での“そこつ”な一戦で勝利を失った……いや、それどころかッ!……山県三郎兵衛尉、真田源太左衛門兄弟、祢津宮内大輔、内藤修理、馬場美濃守……彼らを始めとした勇兵3,000余りを討死させてしまった…!…(原文:信玄公御逝去の以後、長篠に於て卒忽の一戦を為し給て失勝利、山県三郎兵衛尉、真田源太左衛門兄弟、祢津宮内大輔、内藤修理、馬場美濃守を始めとし、宗徒の勇兵三千余討死し)――
――そしてオレは…駿州を任せる適任者がいないからと…あろうことかヤツを…穴山を配置してしまった…!
…ああ!…まるで野伏を野に走らせ、籠の鳥を山に放つがごとき愚行ッ!…父、信玄の慧眼は少しも誤っていなかった!……そして今ッ…このザマだ…(原文:駿州に可差置者無して、穴山を守護に被差遣ける、偏に野伏を野に馳せ、籠鳥を山に放が如し、信玄公の御眼力少も不違、今度心替り也)――
………
勝頼「(…ガックリ……)」
家老たち「…勝頼さま…」
勝頼「…ああ…すまんな……さて、これからどうするかを考えなければな…(原文:如何可有)」
…と、軍議が行われるなか、真田昌幸が進み出てこう言いました…。
昌幸「あ~その、とても言いにくいコトですが……こんだけ周りが敵になっちまったからには、もはや甲州に帰るのも難しいと思うんですよね~…
…ココは…オレが領知させていただいている上州吾妻郡の岩櫃城へお越しいただくってのはどうっスかねぇ~…(原文:諸方御敵に成ければ、甲州へ御帰陣も無覚束御事也ければ、某の領知上州吾妻郡岩櫃の城へ御入有ベし)」
勝頼「…岩櫃へ…?」
昌幸「ええ!…幸いなことに、近所の箕輪城には内藤大和が…信州の小室(小諸)城には武田左衛門さまがいらっしゃることですし……それに…(原文:幸ひ近所箕輪の城は内藤大和、信州小室の城には武田左衛門殿居住也ければ)」
………
昌幸「…上田城にはオレの嫡子である源三郎(信幸)や伯父である矢沢薩摩守の一族…それに祢津宮内大輔、常田図書、鞠子藤八郎、小泉たちがおりますし…
…上州の沼田城には弟の真田隠岐守(信尹)がおります…(原文:上田の城には某の嫡子源三郎に伯父矢沢薩摩守一族、祢津宮内大輔、常田図書、鞠子藤八郎、小泉等籠置、上州沼田の城には弟真田隠岐守籠居)」
………
昌幸「…そして…このオレが勝頼さまの御旗本に寄り添います――そう…もう一度運気が巡ってくるまで…ずっとご一緒しますぜ――…3,000ぽっちの勢力と、3~4年の賄いにはなりますが……どうかウチに来ちゃあくれませんかね…(原文:某は御旗本に相詰、忠信を尽し、一度御運を計申さん、三千斗の御勢、三、四年の御賄は御心易く被思召候)」
勝頼「…真田…!…」
昌幸のこの言葉に、大将である勝頼をはじめとした一門の人々は…
一同「…真田~!…なんて立派な心掛けだ🥲…そして頼もしいぜ~!(原文:神妙也、頼母舖心底)」
…と涙を流して感動しました…。
昌幸「…ではッ!…オレは準備のため、ひと足お先に吾妻へ向かいます!……勝頼さま…お待ちしてますぜ~ッ!!」
こうして2月28日早旦、昌幸は吾妻へ出発しました…。
小諸城に向かう武田左衛門、箕輪城に向かう内藤大和も、同日に御暇をもらいました…。
………
勝頼「…よしッ!……それではオレたちも…真田の待つ岩櫃へと向かう用意をするぜッ!」
???「ちょっと待った~!」
勝頼「…!?……オマエは…!!…」
🌟🌟🌟🌟🌟
――次回予告――
俺、思い切って勝頼さまを岩櫃に誘っちゃったんだ…
…勝頼さまの感動した顔…うれしかったな…無事に岩櫃に来てくれよ…
…でも、俺が出発したあと、思いもかけぬライバルが…
次回、きまぐれ諏訪落ち☆ロード
『小山田の誘惑!…揺れる勝頼の心』
俺、出し抜かれました
:
:
:
真田昌幸のところへ向かおうとする勝頼に“ちょっと待ったコール”を入れたのは…小山田左兵衛尉でした…!
小山田「…勝頼さま…真田の言うことはもっともです…が!…どうか考えなおして…オレんトコに来てはくれませんか!?…(原文:真田申処、勿論成けるが)」
………
小山田「…勝頼さま……オレの館(岩殿)がある場所は…あなたの本国でもあります…!…
…思えば…オレの先祖は関東の者ですが……あなたのご先祖さまがある時、合戦に敗れ……あの『御旗・楯無』を敵国のそばの森…“フシ木”の中に隠したとか……(原文:某の館は御本国の事也、其上某が先祖は関東の者也けるが、御先祖御合戦に討負給し時、御旗楯無を敵国の傍森の内なるフシ木の内に御隠置候しを)」
………
小山田「…それを……オレの11代前の先祖が行人(修行僧)をしていたときに偶然あなたの先祖と山中で出会い、その話(御旗・楯無を隠した話)を聞いて敵国に忍び入り、『御旗・楯無』をサルベージして再びあなたの家の手中に戻したのだとか…(原文:某が十一代の祖、行人にて風と山中にて行合奉り、聊の事御物語有しにより彼国に忍入、御旗楯無を尋出し、二度御世に立参らせ)」
………
小山田「…そのことがきっかけで、オレの家は甲州の郡内を与えられ、それから11代の長きにわたりずっと…武田の家中でも一、二を争う忠臣でした…!
…たった2代の真田なんかとは…絆の深さが違うッ!!(原文:依此忠信、甲州郡内を賜ひ、十一代安楽に一門悉く武田の御家に一二の臣と被成候し、真田は二代忠臣也ければ)」
勝頼「ううッ…!?」
小山田「…フッ…途中少し話が逸れてしまいましたが…
…勝頼さま!…岩殿へッ!……甲州へ…オレと帰りましょう…!!
…あなたを守ることができるのは……真田などではなく…
…このオレだけだッ…!!(原文:我が館へ御入候へ)」
勝頼「お…小山田…(キュン💓)」
………
勝頼「(…ああッ!…真田はきっと岩櫃でオレを迎える準備をしてくれている…
…しかしッ!…
…この小山田がオレを想う心を…無下にはできない…
……岩櫃の真田か……岩殿の小山田か……)」
………
――…決めたぜ……オレが向かうのは…!…――
💞💞💞💞💞
――次回予告――
…どうしよう!…どうしようどうしよう!
岩櫃に向かうつもりが…岩殿へも誘われちゃった…
…私を守ってくれるのは…真田…?……それとも小山田…?
ママレード・甲州『穴山梅雪後遺症「あいつの気持ちがワカラナイ」』
:
:
:
勝頼「…決めたよ…オレはッ!…小山田…オマエについていくぜ!」
小山田「…勝頼さま…!」
…こうして同月28日…勝頼は諏訪を出発して甲州へと帰っていきました…。
…しかし…この選択は勝頼にとって“運の尽き”と言わざるを得なかったのです…。
―――――
ココで唐突に文中に挿入されているネタバレ
「やめて!…
…小山田信茂の離叛で岩殿城へ入れずに“天目山”へ向かったら…
…始めは7,000~8,000騎はいたけど、甲州入りの時には1,000騎以下になってしまった武田勢が滅んじゃう!
お願い、死なないで勝頼!
…アンタが今ここで倒れたら、昌幸との約束はどうなっちゃうの?
…お供はまだ(男女合わせて50人未満だけど)残ってる!
…ここを耐えれば、信長に勝てるんだから!
次回、『武田勝頼死す』デュエルスタンバイ!(原文:始は七、八千騎有ける御勢、甲州へ御入の時には千騎に不足けり。小山田心替りして岩殿へ不奉入、日野の奥山天目山へ御入有し時、男女供の面々、五十人には不過けり。天目山にて勝頼、信勝御父子御生涯也)」
―――――
…いっぽう、昌幸はこのこと(勝頼が小山田に付いて甲州に向かったこと)を夢にも知らず、夜も休まずに急いで、28日のまだ夜中のうちに上田に、その晩には岩櫃へとたどり着きました…!
昌幸は(数文字読めない)…池田、植栗、鎌原、湯本、大戸、浦野を始めとした一郡の武士を寄せ集め…
昌幸「みんなッ!…ココに来る勝頼さまのために、岩櫃の居館に御座間を普請するぜッ!…ほかにも仮小屋とかを…とにかく超大急ぎだッ!(原文:岩櫃の居館に御座間を御普請、其外小屋掛け不日可沙汰)」
こうして榛名山、四万、猿渡、山田の山中に杣人(きこり)を入れて材木を調達し、夜も休まずに普請した結果、3日の内に立派な御座間附書院ができました…!
昌幸「…ふゥ~……コレなら勝頼さまも大満足だろうぜ…」
………
――が、しかしッ!!――
…普請を終えた昌幸の耳に入ってきた情報!…それは…
――勝頼が小山田の館へ入った――(原文:勝頼公小山田が館へ御入候)
…というものでした…!
昌幸「…な…なんだってェェーッ!!……ガーン(꒪д꒪II…!!」
………
昌幸「チクショ~…そりゃないぜ~😭」
…しかし…ショックで落ち込んでる場合じゃないのが真田昌幸のツライところ……
昌幸「クソッ!…しかたねえ…今から人数を集めろッ!!…甲州に参陣して勝頼さまを守るぜ~!!――3日間夜も休まず建築工事をした後だってのに~😭😭😭――(原文:去ば人数を出し甲州に参陣し御見継可申)」
………
昌幸「おお…そうだッ!…忘れずに箕輪へもこのコトを知らせておけよッ!(原文:箕輪へも告為知ん)」
…と、“カネウチ(鉦打)の中阿弥”を飛脚として箕輪城の内藤のもとへと使いにやりました…!
昌幸「みんな~!…この戦いが一生の運命を左右するぜッ!…行くぞッッ!(原文:此度は一期の安否也)」※寝てないからテンション高い(たぶん)
…こうして集まった2,500余騎は3月4日に岩櫃を出発、その夜のうちに上田へ到着しました…!
…と、そこへ祢津、室賀からある知らせが入ります…!
昌幸「…な…!?」
………
昌幸「…なんだって…?……高遠の城も落とされて…仁科どのが……死んだ…!?(原文:高遠の城も落去して仁科殿御生害なり)」
…仁科五郎とは、勝頼の弟でもあり、去年から高遠に在城していたのでした…!
昌幸「…教えてくれ……高遠でいったい何が起きたんだ…?」
祢津・室賀からの連絡役「…は、はいッ…それが……」
…連絡役から昌幸が聞いた話は…
💭 💭 💭 💭 💭
――…高遠城の仁科盛信のもとに、援軍として小山田備中とその弟である大学助、そして渡辺金太夫が駆け付けました……が…!…――
――…飯田と大島の城が落城した後、敵(織田軍)はメッチャ勢いづいて高遠の近辺まで押し寄せました……
…そ、その時に…織田城介信忠が使いの僧に持たせて高遠城中へと届けられた手紙にはッ!……――
―――――
従信玄時至而勝頼、毎度構表裏背神慮、対信長不義之擬迎候、依之今度為可加退治為討手信忠向当国令進発処、木曽、小笠原、下條、已下其外信州一国中、士卒悉令降参、殊に飯田、大島、令自落処に、其城于今堅固に相抱候段、是神妙之至也。勝頼昨日諏訪郡引退之処に、始小山田表裏之者共討可出之由申来、然則誰を頼、何迄可籠城哉、早速遂出仕抽於忠節者、所領之儀宜任御望、先為当座褒美、黄金百枚可出之者也。
天正十年午二月廿九日 信忠 判
高遠城中え
―――――
内容「オッス!…オレ信忠!…高遠城のみんな~…元気かッ(笑)
…つーかオメーらさぁ……信玄のときから勝頼に至るまで…性懲りもなく毎度毎度ヒネっくれたマネしてくれやがってよ~!
…ウチの信長のことナメてんだろ!?😠
…今回はオメーらを懲らしめるために、この信忠さまが出向いて来てやったワケだけどよ~…
…そしたら木曽だの小笠原だの下條だの…信州の国中のヤツら…み~んなビビッて降参しちまいやがんの🫵🤣…つーか超ウケるwww
…そんでよォ~…飯田城と大島城のヤツらも『ひえ~ッ…』って逃げ出しちまったワケだけどよ~(笑)…オメーらの城だきゃあ、いまだに堅固に守られてるっつーじゃないですか?…いや~リッパなコトですね~👏👏…オレ感心しちゃうよ。
…でもよォ~……勝頼も昨日ついに諏訪からバックレたっぺ?…ンでよ~……ココだけの話だけどよ~…じつは小山田(信茂)もウチらに付くって言ってるんだぜ?(これナイショね!)
…つーワケでさぁ…もうオメーらを助けてくれるヤツなんて誰もいねーのよ…
こんな状況でいつまで籠城する気なんですかねェ~?🤔…
…ハイ無理無理ッ!…もうあきらめなさいって!…
…トットと出仕してくればよォ~…所領は望みどおりやるし、当座の褒美として黄金100枚プレゼントしちゃうぜ~😘…
…つーワケで高遠のみんな~…よ~く考えてね~…by信忠」
――この手紙を読んだ仁科信盛は…
仁科「(ピクピク💢💢)…おう、備中(昌成)と大学助(昌貞)の小山田兄弟…それにみんな…織田のガキがこんなコトほざいてっけど…オメーらどうするよ?(原文:此状如何可有)」
昌貞「どれ(手紙を読む)…💢ンだとあのガキ(信忠)コラ!」
昌成「…仁科の大将~!…ンなモン話し合うまでもねェだろがよ~!……オレたちはこの城に来た時から既に勝頼さまに命を捧げてんだぜ~?
…つーか飯田と大島のヘタレどもが…織田のガキなんぞにビビッてトンズラこきやがってよ~!…――ピクピク💢💢――(原文:是は不及評議子細也、我等当城に移りしより一命は勝頼公に進置候、其上飯田大島の臆病者共が敵未寄来先に城を明渡し遁来り)」
………
昌成「…ヤツらのおかげで年来の武勇の名が台無しだぁ~💢……それでさえムカついてるってのによォ~!…
…さらにこの城をあのガキ(信忠)にタラし込まれて明け渡すだぁ?……ンなコトできるワケねーだろ!!(原文:年来の武勇の名を失侯、是をさへ口惜存候に、又当城を敵に誑され可明退事)」
………
昌成「…ほかのヤツらがどう考えるかは知らねーけどよ~…
…オレたち兄弟は…槍の柄が折れ、太刀の柄が砕けるまで戦ってから討死してよォ~…甲州武士の名を思い知らせてやるぜ~!!(原文:他の面々は如何にもあれ、備中兄弟に於ては鑓の柄の折れ太刀の柄の摧るを限り戦て致討死、甲州武士の名を揚ん)」
仁科「(ニコッ…)…フッ…フハハハハハッ…!!」(※小山田備中昌成のセリフがヱツボ(笑いのツボ)にハマってしまう仁科盛信…『シグルイ』で読んだけど、笑うという行為は本来攻撃的なものなんですね…。)
………
仁科「…ほかのみんなも備中(昌成)と同じ意見でイイかッ?(原文:誰も左様にこそ)」
一同「おおぅッ!!」
仁科「…フッ」
――…この話し合いの結果、仁科盛信は織田信忠あてに次のような返状をしたためました…。――
―――――
芳札披覧得其意候、如蒙仰、信玄以来、対信長遺恨重畳、因茲漸々残雪融ば、尾濃之間勝頼動干戈可散鬱憤被存詰侯之処に、遮而当国え御発向××同時候、当城衆之儀者、一端一命を勝頼之方へ報為武恩候、不可准不当不義臆病成輩に候。
早々可被寄御馬候、信玄以来鍛錬之武勇、手柄之程を可掛御目候。恐々謹言
二月廿九日 高遠籠城衆
織田城介殿
―――――
内容「よ~城介(信忠)ェッ!…手紙読んだぜ~!…
…確かにテメーが言うようによぉ~…オレん家はオヤジの信玄の代からずっと…テメェんトコの信長にゃあムカついてんだよォ~!!…
…雪が消えたらソッコーで尾張と美濃によ~…勝頼のアニキと一緒にカチコミかけてこの鬱憤を晴らしたるべーと思ってたトコによォ~…!
…ククク…まさかテメーらのほうから来てくれるとはな~!!…
…言っとくがよ~…いまこの城にいるヤツらはみんな…勝頼のアニキへの恩に報いるため、一命を賭けてるぜ~!!
…テメーが今まで見てきたようなヘタレどもと一緒にしてんじゃねーぞコラ~!
…とっととかかって来いやァ~!…信玄以来…鍛えに鍛えた武勇を思い知らせてやっからよ~!!」
💭 💭 💭 💭 💭
………
祢津・室賀からの連絡役「…と、いう話でございます…!……ココに逐一を記した書状が……」
昌幸「…な…なんということだ…!…」
連絡役「…そ、そして…誠に言いにくいことではございますが……」
昌幸「…!?」
連絡役「…その…甲州屋形(勝頼)さまも…きっと既に御生害されただろうと…(原文:甲州屋形様も御生害ならん)」
昌幸「あ?…ああッ!!…てめ…今ナンつった?💢」
連絡役「!…ヒイィッ😨…そ…それで…今日明日中に上田にも尾州勢が攻めてくるだろうから、用意をしろと…!(原文:今明日之間、当表へも尾州勢発向有ん、御用意候へかし)」
昌幸「…ううッ……(そんな話、信じたくもねぇが…!…この状況ッ……まさか本当に…)」
………
昌幸「………(呆然)」
………
…少しして、昌幸はようやく口を開きました…。
昌幸「…もはや大将(勝頼)も討たれてしまったっつーのか…
…くッ!……こんなコトになるのがわかっていたならッ!
…オレもあのとき上州に帰ったりしねえで……最後まで一緒にいたっていうのによォ~!!…もしそうしていたならばッ!…(原文:早や大将も被討させ給らん、斯可有を知ならば、上州へ不下して、御供申んに於ては)」
………
昌幸「…たとえ信長のヤロウが1,000,000騎で攻めてこようがッ…!
…小山田を始めとしたヘタレどもがどんなに裏切りを企てようがッ…!
…オレの命がある限りはッ!!…不本意な死に方をさせるようなコトはなかったッつーのによォ~…!!(原文:信長百萬騎にて寄来り、小山田を始め逆心を企と云とも、我命の有ん内は、暗ゝとは御生涯はあらし者を)」
昌幸はそう言うと声を上げて泣きました…!
…それを見た一門の人々を始め、その場にいた兵たちも一度に鎧の袖を絞りました。
一同「(ああ…昌幸さま…なんて信頼できる心根の持ち主だろう…!)」(原文:頼母舗御心底哉)
…と、一同は身分の上下を問わず感動したのでした。
昌幸は…
昌幸「…ふう…みんな…見苦しいところを見せてすまねえ……しかし、悲しんでばかりもいられねぇ!…信長はココへも攻めてくるぜ…!……すぐに門という門を固めるんだ!(原文:扨、当表へも信長公発向あるべし…門々を固めよ)」
…と、部下に命じて厳重な警固をさせました…。
昌幸「――…こうなったからには…甲府に差し出したヨメやセガレたちが心配だぜ――(原文:甲府に御座有つる御奥御公達無心許)」
昌幸は吾妻から人質の迎えに山田文右衛門尉を送りましたが、心配のあまり、娘の迎えと称して富沢豊前からもさらに家来のナントカを使いに出させました…。
どこのウチでも人質には息子や娘など差し出していましたが、昌幸は甲州老臣だったので、さらに奥方や後継ぎも甲府に差し出していたのでした…。
そして、祢津宮内大輔と室賀もそれぞれ息女を人質に差し出していたので、一門で会議を開き…
昌幸「…よし、じゃあそれぞれ人質の迎えに使いを出す…っつーコトでいいな?(原文:人質の御迎に可被遣)」
…という話になりました…。
祢津からは加沢二郎四郎と藤岡左中が…室賀からは石沢五左衛門と八代伝八が…甲府にいる家族たちを救い出すために送り出されました…!
…いずれの使者も3月6日に出発し、夜を日に継いで急ぎました…。
――その頃(実際は時系列が少し遡るのかな…?)――
…武田勝頼は新府において不忠者の人質たちを、あるいは磔に処し…あるいは獄門に処し…と、三族にわたって成敗しました…!
…その一方で、忠信の者たちの人質に対しては、それぞれに形見や杯(さかずき)を与えて本国へと送り返しました…。
…そしてッ!…いよいよ真田昌幸の嫡子――源三郎信幸――も勝頼から召し出されます…!
信幸「(…ドキドキ( ° ω ° ; )ドキドキ…)」
勝頼「…源三郎か……もっと近くにおいで…」
信幸「…は…はい…(,,•﹏•,,)」
勝頼「…オレは……オマエの父…房州(昌幸)の今回の忠信のこと…草葉の影まで忘れられねーぜ…(原文:父房州、今度の忠信、草葉の影迄も難忘し)」
信幸「………」
勝頼「…オレときたら…あの時、小山田の言葉を信じたばかりによ~…こんなザマになっちまって……神にも見放されたってところか…
…フッ…オマエの父、昌幸もさぞかしオレのことを情けねーヤツと思ってるだろーぜ…(原文:小山田が申処を用ひ、かく成果る事、偏に神慮にも被放たる処也、父昌幸、我を言甲斐なき者と思ふらん)」
(※武田勝頼が「言ふ“甲斐”なし」って言われた日にゃあ、そりゃあ…💧)
信幸「…そ…そんなことは…!」
勝頼「…源三郎ッ!…どうか!…オマエの母と弟…それから一族の者たちを無事に故郷へと連れ帰ってくれよ!…そしてッ!……末永く繁昌するんだぜ…!(原文:何卒母と弟、其外一族の人質、無恙引取行、末繁昌致されよ)」
信幸「…!!…か、勝頼さま…」
…そして――勝頼から杯(さかずき)を賜り、“甲州黒”と名付けられた龍蹄の馬と金作りの太刀を与えられ、涙にむせぶ信幸――
…その姿を「これまでなり…これまでなり…(原文:是迄也ゝゝゝ)」と…かたじけなくも大将の勝頼自らが広縁(屋敷の縁側)まで出て見送ったのでした…。
⚔⚔⚔⚔⚔
【次回 加沢記】
君達に最新情報を公開しよう!
勝頼から甲州黒の馬と金の太刀を賜った源三郎…
彼の手に託されたのは同胞たちの命…
襲い来る盗賊の魔の手から姉、弟そして母を守ることができるのか?
勇者王ゲンザブロウNEXT『戦慄の鳥居峠』
次回もこのチャンネルで、ファイナルフュージョン承認!
:
:
:
勝頼「…それにしても源三郎の一行…若いヤツらばかりだな~…あれじゃ敵に目を付けられて生捕にされねーか心配だぜ(原文:若年の者落人とて、定て生捕にならんも無御覚束)…オイ…5~6里の間でいいからよ~…何十人か護衛を付けてやれや…」
部下「(ジーン🥹…勝頼さま…ウチに残ってる兵もわずかなのに…)」
――勝頼さまの行動…これも昌幸の忠義に感じたところによるものだろう……そう、誰もが本来はこうあるべきだったのに……いま代々の主君に弓が引かれ、裏切りを企む悪意が蔓延…神もヒドイ仕打ちをッ…(原文:誠に昌幸公の忠義に感ぜしより致す処也。誰もかくこそ可有ものを、相伝の主君に弓を引、逆心を企つる心意、神慮も悪み給ふらん)――
…感じる心がある者たちはみな涙を流しました…。
………
…そして、信幸たちは3月5日に新府を引払い、信濃堺へと向かいました…!
…しかし、そこかしこでは彼らを狙う黒い影が…!
………
盗賊A「…ウヒャヒャ…見ろよアレを…」
盗賊B「おおッ!…甲州の落人かぁ!?…こりゃあ剥ぎ取ってやるっかねえべ!(原文:甲州の落人剥取ん)」
…と、相談しあった盗賊たちは同類の仲間を集め、その数は100~200人にのぼりました…。
彼らは信幸一行を待ち伏せして襲いかかります…!
――ドドドドド…――
盗賊たち「ヒャッホ~~!!」
盗賊たち「落人だ~~!!」
………
信幸「…ううッ!…あ、あれは…」
信幸はその年17歳…
…振り返ればそこには弟の藤蔵(源次郎信繁)15歳と源五郎(昌親)7歳、姉(村松殿)18歳の姿が……
…さらに勝頼から託された矢沢、祢津、室賀の娘たちも同道しています。
信幸「…オレはッ!…この者たちを…家族を守らなければッ!!」
信幸は母の乗物、藤蔵、御付の岩崎主税、??、山田文右衛門を殿(しんがり)に配置して、自らは先陣に立ちます!
…盗賊を迎え討つ信幸の軍は男女合わせて200余人…
――スチャ…――(勝頼から賜った太刀を握る)
信幸「…勝頼さま……どうか我々を見守っていてください…!!」
盗賊A「おぉ?…なんだガキが大将か~?」
盗賊B「ヒャハハ…根こそぎブン獲ってやるぜ~!」
信幸「…盗賊ども…そこをどけッ!!」
――💥――スパァ!
|
💥
| ドバァ!
盗賊A「あわらっ!!」
盗賊B「あわびゅ」
信幸「…オラオラァッ!」
――💥―― ブォン!
盗賊「ひぎゃあ!」
|
💥
| ドゴォ!
|
💥
| メゴォ!
盗賊たち「ふんげ!?…ぺがふ!」
…なんとか道を切り開いた信幸たちは鳥居峠(※)にたどり着きます…!(※この「鳥居峠」は吾妻のではなく木曽谷入り口ですね。あとで吾妻のも出てきます。)
信幸たち一行は、ようやくこの峠で人馬ともに休息を取ることができました…。(後のセリフから3日間も昼夜問わず戦い続けていたようです…。)
…ところが…
…彼らがここで休んでいることは、盗賊たちにも筒抜けだったのです…!!
盗賊たち「ヒャッハ~~!!…見ろよあの女どもを…上玉だ~~ッ!(原文:能物取)」
盗賊たち「お…男のガキもカワイイぜ~💕ジュルジュル…」
…この話を聞き付けた信州のスッハと上州武州のワッハ(ラッパ?)どもも集まり、その数は1,000余人に上りました…!
――ゴゴゴゴゴ――
盗賊たちは峠の麓の小松原に隠れ、坂の途中で不穏な声を上げています…!
信幸姉「…ひッ…!(…ガクガク…)」
信幸「(…姉上…それにほかの女たちも怯えている…)――無理もない…奴らの声は…百千の雷もこれには及ばないほどに…恐ろしすぎるッ…!――(原文:百千の雷も是には不過)」
…この様子を見た信幸の母(山手殿)は…
信幸母「…ううッ💧…敵の多さに比べて、あまりにも味方が少なすぎるッ!…それに…3日間昼夜を問わずの戦いで…兵は負傷し、多くの者は疲れ切っている…!(原文:敵は多勢、此方は無勢、今日三日の間、昼夜度々の戦にて手負も有り、多くは草臥れたり)」
………
信幸母「…源三郎ッ!…こうなったら…ヘタに戦ってあんな奴らの手にかかるよりはッ!…ココで自害しよう…!……オマエは…その短刀で腹を召せ…ううッ!😭(原文:憖(なまじ)に相戦ひ、雑人の手に掛らんよりは自も自害せん、夫にて腹被召よかし)」
…と、涙にむせびました…。
それを聞いた信幸は…
――この状況…母上が弱気になるのもわかる…しかしッ!…――
信幸「…フッ!…母上ともあろうお方が何をおっしゃるか!……あんな奴らがたとえ1,000,000騎で襲ってこようが!…物の数ではないでしょうがッ…!!(原文:あれ体の一揆、縦令百万騎に候とも、物の数にて不数)」
………
信幸「…まあ安心して見ていてください…今すぐ奴らを追い払いますので……その後は平穏無事に、故郷に帰ろうではありませんか…!(原文:御心安く思召、只今かれらを追払、安々と御供申さん)」
信幸母「…源三郎…(キュン💓)」
信幸は鎧の上帯を締め直し、十文字の槍を取ると、勝頼から賜った「甲州黒」と名付けた名馬に乗りました…!
…その姿は見るからに勇ましい姿でしたッ!!
信幸母「…ふッ…わかったよ源三郎……私も覚悟を決めよう…!」
母も鎧を身に付け、白綾をたたんで鉢巻にして、志津三郎の打った長刀を小脇に挟んで持つと、床几(しょうぎ)にドカッと腰掛けました…!
信為(信繁)も緋綴の鎧に鍬形を打った兜の緒を締め、弓を押し張り…
信繁「もしも敵が襲ってきたらよォ~…このオレがブッ〇してやるぜッ!!(原文:敵懸らば討取らん)」
…と、母の脇に控えました…。(※「信為」は「信繁」の誤読、誤写だ…って丸島和洋先生の本に書いてあった。)
信幸母「…源次郎…!(ニコッ)」
信幸は隠れている場所から5反(=30間≒55m)ばかり乗り出して、一揆(盗賊たち)の様子を探りました…。
信幸「(…ふむ……奴らは約1,000人…こちらは男女合わせて200人ってところか…)」
………
信幸「…よし!…みんな、3手に分かれるぞ!…先陣は山の井(山の湧き水だまり)のところに50人、旗本(本陣)として母上のところに100人、それから残りの50人はオレと一緒について来てくれ…!」
………
信幸「…いいか…オレたちはこの山陰から麓に廻り込んで、貝を吹き立てる…そして50人をさらに2手に分けて、叫びながら峠を駆け登るぜッ!…そうすれば…所詮ヤツらはアホの盗賊……きっとオレたちを尾張勢とカン違いして、逃げて失せるだろうぜ…!(原文:此山陰より麓に廻り、貝吹立、五十人を二手に分け、叫喚て峠に掛登らば、敵は盗賊の奴原なれば、我をば尾張勢と心得、数々に逃失ん事案の内なるべし)」
一同「おお!…流石は真田の跡継ぎ…見事な作戦だぜ…!」
信幸「だがッ!」
一同「…?」
信幸「…もしこの作戦がバレて敵が引き返してくるようならッ…その時は山上の岩窟に母上を引き上げ、お守りして戦う…それでいいか?(原文:若し此行を悟り、返合せて戦はゞ、此山上の岩窟に御母上を引上参らせ可戦)」
一同「お…おおッ!」
――いっぽうその頃…山陰付近を探っていた盗賊たちにある出来事が…――
………
――ドカァーン💥――
盗賊「アイヤ~~!!」
――ドサッ――
盗賊「あいたた…何起こったアルか?」
――キョロキョロ――
…彼の背後には謎の鎧武者が…!!
盗賊「は!?」
………
盗賊「きさま何するアルか?」
――ガシッ――(謎の鎧武者に首を掴まれる…)
盗賊「あが…はが…」
謎の鎧武者「オマエたちが追っている甲州の落人はどこだ!?」
盗賊「しっ知らないアルよ!!」
――ドカッ💥――(叩きつけられる…)
盗賊「はふぁ!」
謎の鎧武者「あるのかないのか…どっちなんだ…」
盗賊「たっ…たから…知らないアルヨ~」
――ドコッ💥…ドコッ💥…――(さらに叩きつけられる…)
謎の鎧武者「どっちなんだ…あるのか?…ないのか?」
盗賊「ないないあるよ」
――グッ…――
盗賊「アイヤ~…ないあるないあ…るないあるない~~~」
――バッ――
盗賊「ひょんげ~!!」
――ボコン💥――
謎の鎧武者「…あそこか…!」
(この辺の盗賊と鎧武者のやり取りは妄想です。つーか『加沢記』は意外とストーリーの説明が足りないからこうやって行間を読まないと展開がわかりません。)
…さて、信幸たちが山陰に廻り込んだその時、信幸は謎の鎧武者が10騎、そのほかに70~80人ほどの者たちがひっそりと細い道を登ってくるのを発見します…!
信幸「あ…あれはッ…!!」
――ゴゴゴゴゴ…――
信幸「(…し…しまった…!……敵が背後から?…しかも…あの格好は盗賊じゃない!?…もしも織田の軍隊だったら?……最悪の事態ッ…!!)」(原文:是は敵後より寄来る)
…信幸は50人の仲間のなかから1人の者を農民に変装させて、謎の鎧武者たちの一団を探りに行かせました…!
信幸「(…奴らはいったい何者……!?…あ、あれは…!)」
…なんと、農民に扮した偵察は、謎の鎧武者を伴ってコチラに向かってきます…!
信幸「(…い、いったい何が…)」
――ドクン…ドクン…――
謎の鎧武者「………」
――ゴゴゴゴゴ――
信幸「…お、オマエたち…何者だッ?」
農民に扮した偵察「…安心してください!…彼らは信州から迎えに来た味方です!(原文:信州より御迎の人々也)」
信幸「…!?」
謎の鎧武者「…源三郎さま…無事でよかった…!」
信幸「…なんと…!(ホッ…😮💨)」
鎧武者「…よかった!…本当に…!!」
…信幸も鎧武者たちも互いに喜び、それぞれあいさつを交わしました…。(ココの鎧武者たちは加沢二郎四郎、藤岡左中、石沢五左衛門、八代伝八…といったメンバー?)
信幸「…それにしても…よく我々の居場所がわかったな…(原文:此由如何)」
鎧武者「…この峠に差しかかった際、遠目に盗賊たちが『ヒャッハー!』と声を上げながら雲霞のように群がっているのが確認できましたので……もしやと思いこの山陰に廻った次第で……まさに天の与え…ありがたいことでございます…!(原文:此峠に差掛り遠見仕処に、鬨の声頻にして其勢は雲霞の如く也ければ、此山陰を廻り候ば、天のあたへ目出度御事也)」
信幸「…そうか…フッ…この場合、盗賊どもに礼を言うべきなのかな(笑)」
思わぬ援軍を得た信幸たちは、当初の作戦どおり麓に下りて貝を吹き、旗を揚げ、鬨を上げました…!
――ドドドドド…――
盗賊たち「…!?…な、なんだアレは?…」
盗賊たち「…ま、まさか…お、お、織田~!?」
盗賊たち「ひえ~!…ず、ズラかれ~!」
…こうして信幸の作戦どおり、一揆(盗賊たち)は四方へ逃げ散って1人もいなくなりました…。
信幸「…ふゥ~…どうやら助かったな…」
…それから信幸は母(山手殿)のところへ行くと…
信幸「母上…信濃の国では尾州のヤツらがそこかしこの城や要害へ押し寄せており、兵乱の最中で、容易に通り抜けられません…そこで…(原文:信濃国は、尾州勢爰かしこの城用害へ押寄、兵乱の最中成ければ、可通道迫りければ)」
信幸母「…?」
信幸「ココからは輿を捨て、女衆にも男の格好をしていただいた上で、通り抜けようと思います!(原文:是より輿を捨て、皆男の出立にて可通)」
信幸母「…ええ~っ💧…ま…まあ、仕方ないか…」
…とみんなで甲胄姿になりました…。(山手殿:母ちゃん、村松殿:姉ちゃん、矢沢、祢津、室賀ンちの娘たちがみんな男装して歩く姿を想像すると萌えますね。…?)
…さて、そんな一行にある問題が…
一同「…ココは吾妻へ引き取るべきか?…それとも上田へ向かうべきか…?(原文:吾妻へ引取べきか、又、上田へ可通か)」
信幸「…むう…」
…と、悩んでいたところへ…
見張り「源三郎さま!…坊主が2人…こちらにやってきます…!」
信幸「…あれは…!」
やって来たのは真田長国寺と長命寺の僧2人でした…。
信幸「…これは…一体どういうことでしょう…?」
僧「源三郎さま…浅間の表通りは戦乱の最中で通り抜けるのは困難です…どうか上州側を通り三原通りへと退いてください……我らはその伝達に…(原文:此表は乱の最中にて中々可通道なし、何卒上州へ打越、三原通りに可引取)」
信幸「…!…それは…伝達ご苦労さまです!……よし!…みんなッ!…吾妻へ向かおう!」
…こうして使いの僧も仲間に加わり…
信幸「…では、佐久郡の軽井沢沓掛を通って砂塚を越え、三原を目指すぞッ!(原文:佐久郡軽井沢沓掛通りに砂塚越をして、三原へ御出可有)」
…こうして一行が雲場の原へ差し掛かったとき、信幸は小浅間山の麓、花田坂のほうへ目を遣りました…。
信幸「…ん?…いま何か見えた…?……ううッ!……あ、アレはーッ!!」
――ゴゴゴゴゴ…――
――信幸が花田坂の上に見た“それ”は300余騎の集団…それも盗賊などではなく、武装した部隊でした…――
信幸「…ま、まさか…そんな!…信じられない…いや…信じたくない!……しかし…」
信幸母「…!?……ああッ!…(絶望)」
…母(山手殿)は信幸と信為(信繁)を近くに抱き寄せると…
信幸母「…源三郎ッ!…それに源次郎ッ!…私たちは甲府を出てから今日で6日…あちこちで敵に襲われたり、野に臥し、山に臥したりもしたが…それでも心を強く持ってココまでやってきた…(原文:甲府を出て今日六日、爰かしこの敵に逢、野に臥、山に臥、心意をもたし)」
………
信幸母「…そして今日、ようやく領地に入れると安心したところに…また敵が現れたッ…!…そして…あ、アレはッ…(原文:今日は早領地に入と心易く思しに、又敵の来るは、定て)」
信幸「…ううッ…!(苦悶)」
信幸母「…吾妻の者たちだ……ヤツら真田を裏切ったに違いない…!(原文:吾妻の者共心替りと覚たり)」
信繁「は、母上?…そんな…」
信幸母「…フッ…何も不思議なことはないさ…武田28代に仕えた兵たちでさえ、たちまちに敵になってしまうサマを見てきただろう?…
…まして吾妻は領分となってから20年足らず…どうしてヤツらに忠信を尽くす義理がある…?(原文:武田廿八代の兵さへ忽に敵と成たり、まして廿ヶ年に不足し御領分、何迚忠信可有哉)」
信繁「……!!」
信幸母「…雑人(ぞうにん)どもの手にかかって死ぬのは構わない…もはや命は露塵ほども惜しくはない……がッ!……死体のメンツも保ってやらなければな…
…私はココで自害しよう……
…源三郎……源次郎…オマエたちも腹を切れ……ううッ…!(涙)(原文:雑人共の手に懸り死、命は露塵程も惜からねど、尸の上の面目也、自是にて自害せん。兄弟も腹切給へ)」
信幸「…母上…情けないことを言ってはいけません…!
…我々は他国の敵でさえ追い払って、予定通りココまで逃げてきたのではありませんかッ!
…今さらあの程度の“小勢”の敵を相手に何をビビることがありましょう…(原文:こは言甲斐なき御事哉、他国の敵さへ押払、思の侭に引取、今此小敵に向ひ何の仔細が候べき)」
信幸母「こ、小勢?…あれが?」
信幸「そうそう…安心してください!…小勢小勢、あんなモン…
…敵も小勢だし、それに…
…さすがは三原野、広いうえにウマいこと木立も茂っているじゃあないですか…こんだけイイ条件がそろってれば、どんだけ敵がいようが簡単に始末できますって…(原文:御心易思召せ。小勢也ゝゝゝ。敵も小勢と見へけれども、流石広き三原野、木立茂りし事成ければ、何程敵の有んも、難斗謀を以て可討)」
…こう言うと信幸は旗指物を用意し、砂場の辺りの木立に旗をたくさん結び付けさせると、300余人のお供をあちこちの茂みに不規則に配置しました…。
信幸「(…さあ来いよ敵ども…木に結わえた旗の場所を目掛けてよ~……そして、その場所にオレたちが“いない”ってコトに気付いたその時が…テメエらの最期の時だッ…
…一斉に茂みから飛び出た伏兵に襲われる恐怖を味わうがイイぜ)」
――シーン…――(静寂)
信幸「(…ドクン…ドクン…)…ん?…あれ??」
――おや!?…敵たちのようすが…!――
…なんと!…信幸が仕掛けた旗の紋を見た敵――いや、敵だと思っていた兵たち――が一度にはらりと坂を下ってくるではありませんか!
…兜を脱いで近づいてくる彼らを間近で見ると…
信幸「ああッ?…オマエらは~!」
…それは海野中務大輔(?)、鎌原宮内少輔、湯本三郎右衛門尉、西窪蔵千代丸、横谷左近、浦野七左衛門尉、池田甚次郎、植栗河内…そのほか同心被官の面々でした…!
彼らは間に合わせの縄を手綱にして馬に乗ってくるほど、大急ぎで信幸一行を迎えに来たのでした…!
吾妻衆A「源三郎さまーッ!」
吾妻衆B「おおぅッ!…待て待て…オレもお迎えのあいさつをするんだーッ!(原文:我もゝゝ)」
信幸「…お、オマエたち…(ホッ…)」
吾妻衆「…ん?…この旗どうして木に結んであんの?…うおッ!…みんな、なんで茂みに隠れてんだ?」
信幸「あ、ああ…“かくれんぼ”してたんだよ、みんなで…(アッブね~…もう少しでトラップ発動してコイツラ〇すトコだった…)…ねえ母上?(汗)」
信幸母「う、うむ…出迎えご苦労…(アッブね~…もう少しで自決するトコだった…)源次郎、オマエも労え…(滝汗)」
信繁「は、はい…(母上~…完全に吾妻衆を裏切者扱いしてたクセに…)」
(じつは吾妻衆のほうでも旗を見るまでは織田が攻めてきたんだとカン違いして攻撃しようとしてたりして…??)
…とにかく、母子とも喜びは限りありませんでした…。
こうして、吾妻衆を加え600余騎になった信幸一行は、先陣を海野、浦野、植栗……殿(しんがり)を鎌原、湯本、浦野、西窪、横谷で囲み、その日は鎌原の館に着くと、そこで休息を取りました…。
翌日には鳥居峠(嬬恋)とナントカ丸峠を越えて、ようやく居城へと帰り着くことができました…!
一門は再会を果たし…喜びは限りなかったということです…。
天正十年壬午の春、武田勝頼公は信州諏訪郡に御座有けるが穴山梅雪齋謀叛に依て諏訪を引退候事。其時の日記を以て書写者也。
勝頼公は暫く諏訪に御滞留有て敵襲来は塩尻峠を前に当て遂防戦家運を一戦の内に一定可有之と評議、同趣を定め軍場並路次の順道巡見して敵を御待ある処に二月廿七日甲府より飛脚到来す、事の様を御尋有けるに一昨廿五日の夜、穴山殿の御内室御息達を江尻より勝たる兵四五十人迎に参り、引取処を古府中の地下人町人等二三百人相集り押留んと跡に続きけるを返し合せ切散し二三十人討死、其外の者共は四方へ逃去ければ無相違下山迄引取しよし申ければ勝頼公を始め一門家老の人々、茫然として只アキレにあきるゝ計也。木曽、下伊奈御敵に成さヘ一大事と被思召けれ共駿州の事は梅雪齋ましゝゝければ先づ心安く思召されけれ、是をさへ御敵に成給へり。梅雪齋勝頼の御為に御兄弟の因ありければ頼母しく被思召、駿州の守護に属し江尻に在城して駿州一国の諸侍土民に尊敬せられ何の不足有て今怨敵の思をなし惣領の家を倒し給ふ意趣も無く、又遺恨もなし、只欲心に義理を忘れたるなるべし、梅雪齋覚悟の角可有を兼て信玄御了簡有けると也。先年駿川蒲原の城御本意の砌、彼地を穴山に預けられけるが或時信玄公勝頼公に被仰けるは、穴山は我甥也、聟也、別心は有じと思へども彼心底を考へ見に、第一欲深くして扨又空をも可翔程の血気の勇士也、果は当家の怨敵と可成者也、但信玄一代は逆心不可叶、子孫の為め大切の由被仰、無程蒲原を被召放、聊も御心免し給はざりけるに信玄公御逝去の以後、長篠に於て卒忽の一戦を為し給て失勝利、山県三郎兵衛尉、真田源太左衛門兄弟、祢津宮内大輔、内藤修理、馬場美濃守を始めとし宗徒の勇兵三千餘討死し、駿州に可差置者無して穴山を守護に被差遣ける、偏に野伏を野に馳せ、籠鳥を山に放が如し、信玄公の御眼力少も不違、今度心替り也、角て如何可有と御評定有けるに真田昌幸進出て被仰けるは、諸方御敵に成ければ甲州へ御帰陣も無覚束御事也ければ某の領知上州吾妻郡岩櫃の城へ御入有ベし、幸ひ近所箕輪の城は内藤大和、信州小室の城には武田左衛門殿居住也ければ上田の城には某の嫡子源三郎に伯父矢沢薩摩守一族、祢津宮内大輔、常田図書、鞠子藤八郎、小泉等籠置、上州沼田の城には弟真田隠岐守籠居、某は御旗本に相詰忠信を尽し一度御運を計申さん、三千斗の御勢三四年の御賄は御心易く被思召候と利を尽し被申上ければ大将を始として御一門の人々一統に感じ給て神妙也頼母舖心底と御涙を流し給て早々御暇賜り二月二十八日早旦に御立有て吾妻へぞ被立ける。武田内藤も同日に御暇給りけり。掛りける処に小山田左兵衛尉進出被申けるは、真田申処勿論成けるが某の館は御本国の事也、其上某が先祖は関東の者也けるが御先祖御合戦に討負給し時、御旗楯無を敵国の傍森の内なるフシ木の内に御隠置候しを某が十一代の祖行人にて風と山中にて行合奉り、聊の事御物語有しにより彼国に忍入御旗楯無を尋出し二度御世に立参らせ、依此忠信甲州郡内を賜ひ十一代安楽に一門悉く武田の御家に一二の臣と被成候し、真田は二代忠臣也ければ我が館へ御入候へと尽言利被申ければ御運の尽たる御瑞相にや又此儀に御納得し給て同月二十八日諏訪を御立有て甲州へ御帰り有ける。始は七八千騎有ける御勢、甲州へ御入の時には千騎に不足けり。小山田心替りして岩殿へ不奉入、日野の奥山天目山へ御入有し時、男女供の面々五十人には不過けり。天目山にて勝頼、信勝御父子御生涯也。昌幸公は是をば夢にも知り給はず夜を日に継で急ぎ給ふ程に其日の夜半に上田に御著有て廿八日晩岩櫃に御著有て×××××××池田、植栗、鎌原、湯本、大戸、浦野を始め一郡の武士被召集、岩櫃の居館に御座間を御普請、其外小屋掛け不日可沙汰とて榛名山、四万、猿渡、山田の山中に杣人を入れ材木を被取、夜を日に継て御普請有ければ三日の内に御座間附書院迄出来す、斯て勝頼公小山田が館へ御入候と告来ければ、去ば人数を出し甲州に参陣し御見継可申とて箕輪へも告為知んとてカネウチの中阿弥を飛脚にして内藤にも告知らせ給て此度は一期の安否也とて勢を集めて二千五百餘騎三月四日に岩櫃を打立有て上田へ其夜の内に御著有、かゝりける処に祢津室賀より上田へ告来りけるは高遠の城も落去して仁科殿御生害なり。仁科五郎と申は勝頼の御舎弟也、去年より高遠に在城し給ける、今度の加勢小山田備中、同弟大学助、渡邊金太夫被相移候、飯田大島自落の後、敵は勇猛の気を振ひ高遠近邊頃押寄たり、織田城介信忠より使僧を以て城中へ被指越たる其状に曰、
従信玄時至而勝頼毎度構表裏背神慮対信長不義之擬迎候、依之今度為可加退治為討手信忠向当国令進発処、木曾小笠原下條已下其外信州一国中、士卒悉令降参、殊に飯田大島令自落処に、其城于今堅固に相抱候段寔神妙之至也、勝頼昨日諏訪郡引退之処に、始小山田表裏之者共討可出之由申来、然則誰を頼、何迄可籠城哉、早速遂出仕抽於忠節者所領之儀宜任御望、先為当座御褒美、黄金百枚可出之者也。
天正十年午二月廿九日 信忠 判
高遠城中へ
仁科信盛公此書状を披見し給て小山田備中、同大学助、其外各被召出此状如何可有と談合有、備中進出申けるは、是は不及評議子細也、我等当城に移りしより一命は勝頼公に進置候、其上飯田大島の臆病者共が敵未寄来先に城を明渡し遁来り年来の武勇の名を失侯、是をさへ口惜存候に又当城を敵に誑され可明退事、他の面々は如何にもあれ、備中兄弟に於ては鑓の柄の折れ太刀の柄の摧るを限り戦て致討死、甲州武士の名を揚んと潔く述ければ信盛もヱツボに入り、誰も左様にこそとて返状を認ける。
芳札披覧得其意候、如蒙仰、信玄以来、対信長遺恨重畳、因茲漸々残雪融ば、尾濃之間勝頼動干戈可散鬱憤被存詰侯之処に、遮而当国え御発向××同時候、当城衆之儀者、一端一命を勝頼之方へ報為武恩候、不可准不当不義臆病成輩に候、早々可被寄御馬候、信玄以来鍛錬之武勇、手柄之程を可掛御目候。恐々謹言
二月廿九日 高遠籠城衆
織田城介殿
如此之旨一々書記し、甲州屋形様も御生害ならん、今明日之間、当表へも尾州勢発向有ん、御用意候へかしと告来ければ昌幸公も茫然としてあきれたる斗也。良有て被仰けるは早や大将も被討させ給らん、斯可有を知ならば上州へ不下して御供申んに於ては信長百萬騎にて寄来り、小山田を始め逆心を企と云とも我命の有ん内は暗ゝとは御生涯はあらし者をとて御聲を上げ啼玉へば御一門の人々を始め一座の兵一度に鎧の袖をぞ絞りける。頼母舗御心底哉と上下是を感じけり。扨当表へも信長公発向あるべしと沙汰しければ門々を固めよとて用心巌舗警固したりけり。斯て甲府に御座有つる御奥御公達無心許被思召、吾妻より為御迎山田文右衛門尉被差越けるが如何有つらんとて又富澤豊前より御息女の為御迎家の子庄村を御迎に差越れける、何も人質には御息御娘など被差上けるが昌幸公は甲州老臣にてましませば御奥方御公達共も甲府御座有ける也、祢津宮内大輔殿、室賀殿も御息女を被差置ければ御一門御会合有て人質の御迎に可被遣とて祢津よりは加澤二郎四郎、藤岡左中、室賀よりは石澤五左衛門、八代伝八を差越れける、何も三月六日に在所を立て夜を日に継て急ぎける。斯りける処に勝頼公新府へ御著有て不忠者之人質或はハタモノ或は獄門三族共に御成敗あつて忠信の人の人質は夫々に御形見賜り御杯など被下本国へ被送ける。真田昌幸公の御嫡子源三郎信幸公を被召出、父房州今度の忠信草葉の影迄も難忘し、小山田が申処を用ひ、かく成果る事偏に神慮にも被放たる処也、父昌幸我を言甲斐なき者と思ふらん、何卒母と弟其外一族の人質無恙引取行、末繁昌致されよとて御杯を賜り甲州黒と名付し龍蹄一匹、金作の御太刀被下、御涙に咽ばせ給ふ、是迄也ゝゝゝとて忝も大将廣椽まて御見送有て、若年の者落人とて定て生捕にならんも無御覚束とて僅の御人数の処を数十人被附五六里が間被為送ける事、誠に昌幸公の忠義に感ぜしより致す処也。誰もかくこそ可有ものを相伝の主君に弓を引、逆心を企つる心意、神慮も悪み給ふらん、心有輩は是を感じて皆涙を流しける。人々は三月五日新府を引払、信濃堺に向ひ給ければ爰かしこより甲州の落人剥取んとて盗人ども寄合同類を催し爰に百人二百人づゝ待居て鬨を上げ討てかゝりける程に、信幸公其年十七歳、御弟藤蔵殿十五歳、源五郎殿七歳、信幸公の御姉十八歳、矢澤殿の御娘、祢津殿の御娘、室賀殿の御娘御同道有て御下り有つるに依て信幸公先陣に進み御母公の御乗物、藤蔵殿御附岩崎主税ヽヽ、山田文右衛門殿りにて其勢男女共二百餘人、信幸公一揆共を追払、鳥居峠に御着有て人馬の息を休せける。此事無隠盗人共聞之、能物取とて信州のスツハと上州、武州のワツハ共集て一千餘人峠の麓の小松原に隠れ居て坂中にて鬨聲を揚たるは百千の雷も是には不過と怖しく、母上信幸公へ被仰けるは敵は多勢此方は無勢、今日三日の間昼夜度々の戦にて手負も有り多くは草臥れたり、憖に相戦ひ雑人の手に掛らんよりは自も自害せん、夫にて腹被召よかしと御涙に咽ばせ給ければ信幸公武勇の大将也ければ慎て母上に被申上けるはあれ体の一揆縦令百万騎に候とも物の数にて不数、御心安く思召、只今かれらを追払、安々と御供申さんとて御鎧の上帯〆直し十文字の鑓をつ取、勝頼公より賜れる甲州黒と名附たる名馬に打乗、さも勇々舗ぞ控たり、御母上も御鎧を被召、白綾畳んで鉢巻し、志津三郎の打たる御長刀小脇にたばさみ、床几に掛つて御座あり、信為公も緋綴の鎧に鍬形打たる甲の緒を〆、弓押張て敵懸らば討取らんと母上の御脇にぞ控たり、信幸公は五反斗乗出させ給て一揆の行を御覧有て男女二百餘人を三手に分け、先陣山の井五十人、御旗本御母上百人、御手廻りに五十人相隨、信幸公被仰けるは此山陰より麓に廻り貝吹立、五十人を二手に分け叫喚て峠に掛登らば敵は盗賊の奴原なれば我をば尾張勢と心得、数々に逃失ん事案の内なるべし、若し此行を悟り返合せて戦はゞ此山上の岩窟に御母上を引上参らせ可戦と評議を御定有て山陰に廻り給ければ鎧武者十騎斗、人数七八十人忍やかに細道を登り来る、信幸公是は敵後より寄来ると思召、五十人の内より一人農民の出立にして物見に被越ければ信州より御迎の人々也、此由如何と申ければ相互に喜悦不斜して信幸公に御目にかけ申ければ、此峠に差掛り遠見仕処に鬨の聲頻にして其勢は雲霞の如く也ければ此山陰を廻り候は天のあたへ目出度御事也とて夫より信幸公の御供に属し麓に下り貝吹、旗を揚、鬨を上られければ案の如く一揆四角四方へ逃散て一人も敵は無りけり。夫より御母公御供して信濃国は尾州勢爰かしこの城用害へ押寄、兵乱の最中成ければ可通道迫りければ是より輿を捨て皆男の出立にて可通とて皆々甲胄にぞ成にけり。吾妻へ引取べきか又上田へ可通かと忙れ果て御座ける処に、出家二人出来ける、是を見に真田長国寺の僧、長命寺の僧両人也、事の仔細を御尋有けるに此表は乱の最中にて中々可通道なし、何卒上州へ打越三原通りに引取可しとの御使僧也ければ御悦有て使僧も御供にて佐久郡軽井澤沓掛通りに砂塚越をして三原へ御出可有とて雲場の原へ差掛り小浅間山の麓花田坂を御覧有ければ旗色少々見へたり、怪舗思召処に其勢三百余花田坂の上に打上て見へければ御母上信幸公信為公を近付、甲府を出て今日六日、爰かしこの敵に逢、野に臥、山に臥、心意をもたし、今日は早領地に入と心易く思しに又敵の来るは定て吾妻の者共心替りと覚たり、武田廿八代の兵さへ忽に敵と成たり、まして廿ヶ年に不足し御領分何迚忠信可有哉、雑人共の手に懸り死、命は露塵程も惜からねど、尸の上の面目也、自是にて自害せん、兄弟も腹切給へと御涙に咽ばせ給ひければ信幸公、こは言甲斐なき御事哉、他国の敵さへ押払、思の侭に引取、今此小敵に向ひ何の仔細が候べき、御心易思召せ、小勢也ゝゝゝ、敵も小勢と見へけれども流石広き三原野、木立茂りし事成ければ、何程敵の有んも、難斗謀を以て可討とて御さし物取寄、砂場の邊の木立に旗数多結付させ三百餘人の御供人こゝ彼地にむらゝゝに廻し置静り返って控給ければ御旗の紋を見て敵と見へたる兵一度にはらりと下り立て甲を脱ぎ間近く来りけるを見るに海野中務大輔、鎌原宮内少輔、湯本三郎右衛門尉、西窪蔵千代丸、横谷左近、浦野七左衛門尉、池田甚次郎、植栗河内、其外同心被官の面々或は縄手綱などにて駒に打乗御迎我もゝゝと馳付ける程に御母子とも御喜悦不浅して直に六百餘騎、先陣海野浦野植栗、後りは鎌原湯本浦野西窪横谷打囲み、其日は鎌原が館に御着有て御休息をぞし給ひける。翌日鳥居峠ヽヽ丸峠越に居城へこそ御着陣有りけり、御一門御会合有て御悦は限りなし。