増長した海野兄弟の扱いをYAZAWAのオジキに相談するが…結果として、非情の決断をくだすことになる…。
隠岐守。信尹。昌幸のアニキの命により、最強の家族と戦うことになる。ツイテねえ…。
長門守。聴覚を頼りにした盲剣で刺客を苦しめる…。
能登守。神器『茶臼割』で刺客を苦しめる…。
中務大輔。大長刀と太刀を手に多くの刺客を葬る…。
筋金を渡した八角棒を振り回し、時には岩を投げ、多くの刺客を潰す…。
さて、真田昌幸の夏休みの子持山登山と善導寺参りの思い出、そして町田房の時系列的にワイドなエピソードの後ですが…
…いよいよこの章が3巻のクライマックスですね(この次の最後の章はこの章のエピローグ)…『加沢記』らしいバトル要素満載の章です…。
――海野兄弟――
…吾妻三原の地頭、滋野の末葉に羽尾治部少輔景幸という男がいた…。
…景幸の嫡子は羽尾治部幸世道雲入道、二男は海野長門守幸光、三男は能登守輝幸といった…。
…嫡子の道雲入道は永禄年中に死亡…
…弟2人は齋藤越前守に属していたが、齋藤没落の際に甲府へ忠節…三原郷を任され、天正3年夏の頃から×××…岩櫃の城を預かり、勝頼の×××…一門安堵され吾妻の守護代をしていた…。
…輝幸の嫡子、中書(※中務大輔)幸貞は矢沢薩摩守頼綱の婿――真田幸隆の姪婿――となった…。
…幸貞には妹(※娘)が2人…原監物と祢津助右衛門尉の妻となった…。
中津川大観著、時源出版刊『戦闘民族滋野氏――その系譜――』より抜粋(一部欠文有)
…と、まあこんな感じの経緯があって(最後の部分、幸貞の娘の紹介は先走ったネタバレ感がマンマンですが…)、長門守(幸光)は岩櫃城で越後や南方からの大敵を防ぎ、堅固な城代っぷりを発揮していたので、勝頼からも厚い信頼を寄せれらていました…。
勝頼「あそこ(岩櫃)は“堺目”だからよ~…城代の長門(幸光)が年始のあいさつに来れねっつーのも…張り合いワリぃけど仕方ねーよな~……でも丁寧に使いにあいさつを持たしてよこすとか、泣かせるねぇ……オレからも手紙書いてやるべーじゃね…」
その手紙というのは…
―――――
改年之為祝儀矢根到来喜悦候、猶土屋右衛門尉可申候、恐々謹言
勝頼 御朱印
海野長門守殿
―――――
内容…
「オッス長門~!…あけましておめでとうッ!
…年明けの祝儀アリガトな!…矢根(矢じり)って(笑)…正月くらい戦争のコト忘れろよ~😅…まあでもオメーらしいか…超ウレしかったぜ~💕💕
…土屋右衛門尉を通してでワリィけどオレの気持ちだぜ!…そのうちオフ会しようなッ!!」
―――――
…と、こんな感じでイイ関係が続いていたのですが…
天正9(1581)年の夏の頃から、沼田城には藤田能州(信吉)と海野能州(輝幸)――ダブル能登守――が置かれていました…。
…そんな時…!!
…北条安房守氏邦が出張(デバ)ってきて、猪俣能登守を先がけにして倉内を攻めてきました…!
これを聞いた昌幸は…
昌幸「ナニ~!?…猪俣の能登守が攻めてくるだとォ?…クッ……沼田にいる藤田の能登守と海野の能登守だけでは心配だぜ…」
(沼田のダブル能登守vs能登守…もうこれ加沢平次左衛門も遊んでるだろ…)
昌幸は7月に叔父である矢沢頼綱、弟の隠岐守昌君(信尹)を大将に据えて岩櫃に着陣し、海野と打合せをして沼田へと向かいました…!
先年から昌幸により多くの恩賞を受けていた沼田の地衆は、残らずこの戦いに馳せ参じました…!
猪俣は…
猪俣「ぬう!…敵の士気がハンパねえ!!…真田のヤツ沼田衆をウマいコト手なずけやがったな…こりゃ敵わんぜ~!」
…と撤退していきました…。
…こうした戦いがしょっちゅう起こる不穏な世の中で、海野兄弟は岩櫃と沼田の両城をよく守っていたので、真田昌幸は…
昌幸「長門守も能登守もよく頑張ってるね~…ゆくゆく吾妻一郡はアンタら兄弟へやるからね(原文:海野兄弟両城を持固め玉ば吾妻一郡は兄弟へ御渡し有ん)」
…と約束していました…。
…が、しかし…!
…実際には吾妻郡の所々が昌幸配下の者たちへの恩賞として与えられていました…。
幸光「🤔…アレレ?…おかしいな~…真田の大将は『吾妻はウチらにくれる』つったよな?」
輝幸「兄者~…これじゃウチらの取り分が残んねーよ~💧(原文:無覚束)」
海野兄弟は佐藤豊後と渡利常陸介の2人を使者にして昌幸に対して要望を伝えました…。
昌幸「おう、佐藤に渡利…ご苦労さん!…なに?…海野兄弟から伝言?……え?…『今後は吾妻郡内の士卒の恩賞は全部オレたち兄弟にやらせろ(原文:郡内士卒恩賞の儀、向後我等兄弟の計に可仕)』…だとォ?」
………
昌幸「(チッ!…脳筋が調子ン乗りやがって…)」
昌幸からの返答は…
昌幸「長門に能登~…そんなに心配しなくても先年に約束したとおり、吾妻はアンタら兄弟に渡すってばよォ~…(原文:尤先年約諾申ごとく貴方へ可相渡処相違なし)」
………
昌幸「しかしよ~…ワリィんだけど鎌原、湯本、植栗、池田、浦野、西久保、横谷の7人の分に関しては除かせてくれよな。その7人以外は残らずアンタらの下に付けてやるからよ~…もちろんソイツらの恩賞はアンタらが決めていいぜ…(原文:然ども鎌原、湯本、植栗、池田、浦野、西久保、横谷七人は除、其外は不残御被官たるべし、勿論恩賞の事も御斗たるべし)」
昌幸の回答を受けた海野兄弟は…
輝幸「…あ~?…あの7人の分は除くだぁ~?…それってよォ…全然吾妻をくれるコトになってねーよなぁ?…なあ兄者…(原文:七人を不被附事難心意)」
幸光「…そうだな…」
…こんな兄弟の様子を見聞きした吾妻衆は…
吾妻衆「ちッ…あの兄弟の横柄ぶりは齋藤家に仕えてた頃から何も変わんねーぜ……アレはまた…真田家に対しても、齋藤家にしたのと“同じコト”をやらかすかもなあ?……こうなったら……」
――ゴゴゴゴゴ――
天正9(1581)年11月上旬…
昌幸「…あ?…湯本と鎌原から書状だとォ?」
その書状には例の吾妻衆7人(鎌原、湯本、植栗、池田、浦野、西久保、横谷)の押印付で「海野兄弟の逆心は明らか(原文:逆心の企、顕然也)」である旨の注進が記されていました。
昌幸「…!!」
驚いた昌幸は矢沢頼綱に相談します…。
昌幸「オジキ~!…吾妻のヤツらがこんなコト言ってるんだけど…どうしよう!?…沼田でも能登守(輝幸)の評判はよくねーしよォ…!」
矢沢「…ふゥ…困ったモンだね~……海野の兄弟は猛勇の強者だからな~…ウチとモメてるのが分かれば南方(北条)が放ってはおかねーだろ…ヤツらが組んで敵になった日にゃあ……たまったもんじゃねーやな……(原文:海野兄弟猛勇の兵なり、南方へ組せんは必定)」
………
矢沢「…はァ😔……それにしてもよ~…能登(輝幸)の子の中務大輔(幸貞)はオレの婿だで💧……孫も3人いるのによ~…ホント切ねーよなあ😢…(原文:海野中務大輔は我が聟也、孫も三人有、不便には存といえども)」
………
矢沢「…だがしかしよォ~…!!」
――ゴゴゴゴゴ――
矢沢「…海野兄弟!…ヤツらが惣領家を倒そうってんならよ~!…弓矢の家に生まれた者として……なぁ昌幸!?…
…そんな不道不義のヤカラは…ソッコーでブッ〇すしかねーよなぁ!!(原文:惣領家をたをさん事、弓矢の妙慮如何なれば、不道不義の族は早く誅罰にしくは無)」
昌幸「(;゚ Д゚)……ゴクリ…」
…こうして海野兄弟を誅罰することを決意した昌幸は、さっそく甲府へ注進した後、まずは岩櫃城にいる幸光へ討手を差し向けました…。
…そのメンバーは……
弟の真田隠岐守昌君(信尹)…
検使役の田口又左衛門尉、川原左京、出浦上総之助…
そして鎌原宮内少輔、湯本三郎右衛門尉、西久保次郎右衛門、春原勘介、長野舎人、横谷左近入道、池田甚次郎、植栗河内らの180騎と雑兵1,000余人です…!
11月21日午の刻…討手たちは岩櫃に着陣し長門守(幸光)の居館へと押し寄せました…!
昌君(信尹)「…長門守は既に75という高齢…近頃は老衰で目も見えてねえって聞いてるぜ!……オメーら…抜かりなくやれよ…!!(原文:長門守は其年七十五歳、老衰して不眼なり)」
討手たち「…よし!…突入だッ!!」
…佐藤、鹿野、蜂須賀、渡利、割田、蟻川、ナントカ谷、ナンチャラ、二ノ宮、唐山、近岡、高山、茂手木、湯本たち…そして町田、神保、ウンチャラ、桑原、高橋、山田、小淵、富沢の一党が刺客の先駆けとなり…
…真田の軍勢に従って一度に“ドッ”と館に押し入りました…!!
――ドドドドド――
―――――
………
幸光「……真田……来たか…」
⚔️⚔️⚔️⚔️⚔️
【次回予告】
…遂に訪れた粛清の刻…!
…迫り来る刺客に老剣士が最後の奥義を放つ時、岩櫃は再び血に染まるッッ…!!
…次回、滋野の剣『非情!…盲剣士岩櫃の露と散る!!』
「お前はもう、死んでいる」
:
:
:
幸光は目が見えない状態でしたが、居間に留まり甲冑を身につけると、座敷の中に“麻がら”をバラまきました。
…そして耳を研ぎ澄まします…。
………
……シーン(沈黙)………
………
――ピキッ(麻がらを踏む音)――
幸光「…!!……そこだあぁぁーッッ!!」
――ズバァァアアッ!――💥💥――
刺客A・B「…あ…?…」
――ボト……ボトン……(上半身が落ちる音)――
刺客C「う…うわああ!?😱」
――ビュッ―💥――
刺客C「あろ!?」
…ズル…(顔がズレる音)……
――シュバッ―💥💥――
刺客たち「ぎゃああああッッ!!🩸🩸」
…幸光が音を頼りに三尺五寸の太刀を振るうと、たちまち14~15人の刺客たちが斬り〇されました…!!
生き残った刺客たちは四方へ“バッ”と散り幸光から距離を取ります…。
刺客たち「(ヤツは音を頼りに戦っている…!……このまま遠距離から仕留めるんだ…)」
……シーン(静寂)……
幸光「…!!…」
………
幸光「…ふっ……どうやらここまでか…(原文:是迄)」
――ドスッ💥――
刺客たち「あっ…!?」
…幸光は腹を十文字にかき切り、館に火をかけました…。
刺客たち「…海野長門…見事…!」
――海野長門守幸光――75歳――岩櫃の草葉の露と消える…――
…そしてここにもうひとつの悲劇が……
…幸光には35歳の妻と、14歳の娘がおりました…。
彼女たちは実家のある越後国へと逃れようとしていました……が…!
渡利常陸介(幸光の家来)「…ううッ!!……ココにも敵が…!」
幸光妻「…渡利……もうよい……オマエの手で夫の元へ送っておくれ……(原文:不叶)」
渡利「…それは……しかし……」
幸光娘「(…ジッ…※渡利を見つめる)…コクッ…!」
渡利「…あ…ああッ…!(苦悩)」
………
渡利「…奥方さま…姫さま……幸光さま……お許しください……」
――ズドッ――
――ズバッ――
幸光娘「…渡利……ありがとう…(絶命)」
………
…無情……哀れというも、なお余りある運命でありました……。
こうして海野兄弟の“兄”、幸光を粛清した昌君(信尹)と田口又左衛門尉は、岩櫃城を池田と鎌原と湯本に預けると、同日の晩に吾妻を出発し、夜が未だ明けぬ東雲(しののめ)の時刻に川田の郷へとやってきました…。
昌君(信尹)「…よし!…今度は沼田城の輝幸だ…幸光の件を悟られねーうちにやるぜ!」
川田で発智図書、山名主水と弥惣を案内役に加え、利根川の城(川田城?)の奉行である深津次郎兵衛、塩野下野を先鋒に利根川“かじか瀬”をサッと渡りました…!
田口「…昌君さま~…あの能登(輝幸)をそう簡単に始末できますかね~?……せがれの中務(幸貞)や、家来の佐藤軍兵衛も相当のバケモノですぜ~?」
昌君(信尹)「…フッ…安心しろ田口…実はこの時に備え、先だって策を講じてあるのだよ…」
――昌君(信尹)の講じた策とは…――
…事前に小池太郎左衛門尉と上原浅右衛門尉を使者として、藤田信吉と海野輝幸に、「今度東上州を屋形さま(勝頼)が攻める……
…そのため隠岐守昌君(信尹)を大将とした軍を編成するので、海野の両将(輝幸と幸貞)も沼田勢を連れて出張(デバ)って来てくれ(原文:今度東上州へ屋形様御発向に付、隠岐守奉り、沼田の勢相催し、海野の両将にて出張仕にて候也)」…と、あらかじめ伝えておくことでした…。
昌君(信尹)「…っていう話を輝幸に刷り込んであるからよ~…軍議と偽ってヤツを呼び出し、ノコノコ出てきたところをブッ〇す…って寸法よ……安心したか?」
田口「(うう…作戦を事前に説明するって…典型的な失敗フラグじゃねえか……大丈夫かな💧)」
昌君(信尹)は沼田城の本丸に入ると、藤田、金子、恩田、下沼田、発知、久屋といった面々と打合せをします…。
昌君(信尹)「…つーワケで(輝幸の粛清を)チャチャっと済ませちまうべーや…頼んだでー!(原文:手立を以て□く可討)」
昌君(信尹)はさっそく…
昌君(信尹)「おーい能州(輝幸)!…東上州に出張(デバ)るための軍議すっからよ~、すぐ本丸まで出てきてくれや!(原文:東上州出張の兵議可仕の間、早速本丸へ御出候へ)」
…と輝幸を呼び出します…。
輝幸「…軍議?…ああ、そういえばそんな話があったっけ…めんどくせーな…」
…と、その時…!
――ゾゾゾ…――(原文:輝幸智謀の兵なりければ早色をさとり)
輝幸「…!!…(な、なんだこの感覚は?…何かヘンじゃねーか!?……だが一体?……クソッ!…確信が持てねーぜ…!!)」
疑心暗鬼の輝幸は、家来の富沢水右衛門尉を本丸にやって様子をみます…!
…水右衛門が本丸を訪れると…
昌君(信尹)「…あ!?…なんだテメーは?…能登守(輝幸)はどうした!?……
(しまった!…感付かれたか?)
…おい!…ソイツ(水右衛門)を捕まえておけ!」
水右衛門が捕まったことを知った輝幸は…
輝幸「…クソッ!!……疑念がいま、確信に変わったぜ!……ヤツらこのオレを…
………
…〇る気だ…!(原文:扨は我が身の事也)」
………
――ゴゴゴゴゴ――
輝幸「…オレはッ!…天に誓って決して、討たれる謂れなどねえ!…真田の大将…オレを陥れようとするクソ野郎どもにそそのかされちまったのかッ!?(原文:天の照覧もあれ、無逆意処に侫人の為に讒せられたり)」
――ドゴォ!(壁を殴る音)――
………
輝幸「……もう一度…もう一度だけ……申し開きをしよう…(原文:今一度使を立て異心なき由を申開ん)」
⚔️⚔️⚔️⚔️⚔️
【次回予告】
輝幸を取り囲む漆黒の悪意…
沼田城を追われた父子は伝説の地「迦葉山」へと向かう…
しかし…彼らを追うは2,000の刺客ッ!!
次回、滋野の剣『激闘!海野父子!!茶臼割の刃輝くとき戸神原は血に染まる!!』
「海野よ…天に帰る時がきたのだ!!」
:
:
:
…輝幸は申し開きの使者として安中勘解由を送りました…が!
安中が二の丸と本丸を渡す橋に差し掛かった時…
昌君(信尹)の兵士「お?…また来たぜ…能州(輝幸)の手下だッ!!」
安中「…ま、待て!…話を……」
――💥ボグォォッ!!――(殴られた音)
安中「グゥッ!?」
――ズドォォ…――(橋の下に落ちる音※)
安中「……ダメか…水右衛門も戻らないし……すでに…」
…安中は大したキズも負わず、堀を下って輝幸の元に逃げ戻ってきました…。
(※ちなみに安中は『沼田根元記』だと、とんぼ返りで着地します。輝幸の部下は武芸者が多いですね。…つーか沼田城の二の丸と本丸の間はそんなに深く掘られてたんですかね。今じゃ全然わからないけど。)
安中から報告を受けた輝幸は…
輝幸「…そうか……
………
…中務(幸貞)を呼んでくれ…」
息子の幸貞を呼んだ輝幸は……
輝幸「…せがれ~!…どうやら真田のヤツら、オレらを討とうとしてるみてーだぜ…」
幸貞「…!?…」
輝幸「…まあ例えアイツらが1,000,000騎で取り囲んできたとしてもよ~…打ち破ろうと思えばワケねー話なんだが(笑)
…そもそもオレには討たれる謂れがねえ!!
…『迦葉山』だッ!…あの聖域にお参りしてよ~…そこで申し開きをするぜッ!(原文:縦(たとえ)百万騎にて囲むとも打被らん事安けれ共、逆心無ければ迦葉山へ参り申わけ致さん)」
…こうして海野輝幸は、都合150~160人を伴い、門を開けて出発しました…!
今朝から集っていた沼田と信州の勢2,000余人の者たちは…
兵士たち「…え…え?…」
…と、輝幸たちのあまりの堂々っぷりに左右に分かれ、通してしまいました…。
兵士たち「ポカーン…(呆気)」※
昌君(信尹)「おい?…てめーら!?…ナニ普通に見送っちゃってんの?…捕まえなきゃダメでしょ?」
兵士たち「そ、それが…奴らあまりにも堂々としてて…」
昌君(信尹)「バカモ~ン!!…すぐに追いかけろッ!!」
(※この写本にはないけど、群馬県史料集(加沢平次左衛門の草稿版準拠)にはココに「流石滋野の門葉たり」の一文があります。…まあ纏っている貴人オーラが凄すぎて一般人はフリーズしてしまうわけですね。わかります。)
この日の輝幸は海野家に代々伝わる『茶臼割』という三尺三寸の太刀(※)を佩き、火威の鎧を身に付け、鍬形打の兜の緒を締め、(四尺と)七寸余りの『市城黒』という馬に朱鞍を引かせて乗っていました…。
(※この『茶臼割』と呼ばれる太刀は、矢沢頼綱に継承された『小松明』の槍と並ぶ滋野の神器なワケですね。…カッコイイ……私のようなオタクはいくつになってもこういうのに憧れてしまいます…)
先頭は嫡子の中務大輔(幸貞)の家臣、庄村山城が務めます。
幸貞は小桜威の鎧を身に付け、あし毛の馬に貝鞍をかぶせ、沼田打の三尺五寸の太刀を佩き、大長刀を担いで妻子を伴い、父の輝幸から5反(=30間)ばかり引き下がって付いていきます…。
…そしてその隣には、“関東ではその名を知らぬ者などいない”と言われるほどの勇者――吾妻折田の住人、佐藤将監の猶子――“佐藤軍兵衛尉”が伴われていました…。
…一行は静かに、迦葉山へと退いて行きました…。
…そしてッ!…その輝幸たちを追って、真田昌君(信尹)、藤田信吉、恩田越前、下沼田道康、発知刑部少輔、同図書、山名主水、金子美濃守を始めとした2,000余人が城を払い、打って出ます…!
中務大輔(幸貞)は輝幸の軍の最後尾で寄せ来る敵を待ち受けていました…。
この幸貞を、真田昌君(信尹)と藤田信吉の軍2,000余人が叫び声を上げながら襲います…!!
幸貞「(ニタ~ッ!!)😁(原文:にっこ)」
………
幸貞「オイオイ…50人足らずのウチらに、ずいぶんと多勢でかかって来てくれるじゃないの…隠岐守(信尹)は浪費家だねえ(笑)
…ま、オレと佐藤を相手に1,000や2,000の人数ってのもウケるけどね……少しは人を残しておいたほうがイイぜ~!!(原文:あらことゝゝしや五十人に足らぬ敵に、多勢以て来り玉ふはついえやならむ也、吾と佐藤控へければ、千二千の人数にては面白し、少々人数を残し置り)」
…幸貞はこう言い捨てると、大長刀を水車に廻して敵に突っ込んでいきます…!!
| ギャル…
💥
| | ギャルル…
💥
| | ギャルルッ!
💥
|
追手の兵たち「うわああああ!!🩸」
―💥― ブォン
―💥― フォン
―💥― ブォォンッ!
追手の兵たち「ぎゃああああ!!🩸🩸」
…そしてッ!…佐藤軍兵衛は、筋金を渡した八角棒(一般人なら2人がかりでやっと持ち上げるやつ)を追手を相手に振り回します!
|
|
💥 ドゴォ!
追手A「こきょお!!」(撲死)
|
|
💥 グチャア!!
追手B「ちにゃ!?」(潰死)
幸貞と軍兵衛「…ギャハハハハハ……死にたいヤツからかかってこいや~!!(原文:掛ゝれやゝゝゝゝ)」
――💥―― ズバァアッ!
――💥―― シュパァーッ!
|
|
💥 メタァ!
|
|
💥 ドグチャア!!
追手の兵たち「ひえェェ!!…バケモンだあ!!」
…幸貞と軍兵衛に恐れをなした一陣の1,000余人は、一度に“ドッ”と逃げ出し、あたご山まで退却しました…!
昌君(信尹)「…ううッ!?…なんてヤツらだ……だが逃がすワケにはいかねえ!……二陣だッ!…二陣行けッ!!」
二陣として発知、山名、下沼田、恩田、金子の勢500余人が、叫び声を上げながら2人に襲いかかったとき…
――!?――
発知「…!?…あ、アイツら…いったい何を始めたんだ…?」
…果たして、二陣の追っ手たちが目撃したものとは…!!
💭💭💭💭💭
――現場を間近で目撃したK氏による証言――
K「…ええ…ええ…はい、あの時の話ですね……それはもう驚きましたよ!……さっきまで大長刀を振り回して、散々こちらの兵を〇しまくってた中務(幸貞)がですよ?……急に何を言いだしたと思います?」
………
K「なんと海野中務(幸貞)のヤツ…『さっき大勢と戦ったんで疲れた…ちょっと待っててくれ(原文:先刻多勢にかゝり合草臥たり、少々御待候へ)』…なんてことを言いだしたんですよ!?……え?…そ、そうですッ!…マジですよッ!……我々500人が怒声を上げながら襲いかかってるまっ最中の話ですよッ!!」
………
K子「…さらにですよッ!…アイツら鎌倉坂の清水を汲んでゴクゴクと飲み出しやがったんですよ!……え?…だからぁ…我々500人の目の前で起きた話ですって!!…まあ信じられないのも無理はないけど……我々だってポカーンとしてましたからね…」
………
K子「…あ、立場上私の名前は伏せておいてくださいね…さっきからちょっと匿名性がユルくなってません?…なんですか“K子”って……
…それでですねッ!…この後さらにもっと信じられない出来事が起きたんですよッ!!」
………
K子「…中務(幸貞)のヤツ…小高い塚の上に駆け上がると、そこで佐藤軍兵衛とふたり“居眠り”を始めやがったんですよ!!……ええ、ハイハイ…わかりますって…さすがに信じられないですよね……現地で見てた我々ですら自分たちの目が信じられなかったんですから…」
………
Mの守「…え?…その間にヤツらを襲おうとは思わなかったのかって?」
――ブルブルブルブルブルブル…(首を振る音)――
Mの守「…イヤイヤイヤイヤ……とんでもない…そんなコトしたらたちまち肉塊にされるのは目に見えてますって…😱(ガクガク…)」
💭💭💭💭💭
………
幸貞「スヤァ…💤」
軍兵衛「ぐごー…ぐごー…💤」
………
発知「…くッ…ナメやがって…💢」
??「フ…ずいぶんと手こずっているようだな…」
発知「…お、お前たちはー-ッ!!」
発知たちの前に現れたのは…
――高野車、小屋弥惣、塚本肥前、高橋右馬允、林太郎左衛門、吉野太郎右衛門、内田五兵衛、深津次郎兵衛、小保方半左衛門――
…いずれも手練れ揃いでした!
高野「あの二人は貴様らの手に負えまい…そこで見ているがいい…!」
高野たちは一斉に刀を抜き、幸貞と軍兵衛に襲いかかります…!
…すると…!!
………
幸貞「…パチッ!(目を見開いた音)」
軍兵衛「…パチッ!(原文:きっ)」
幸貞「…ほう!…おもしろい…少しは骨のあるヤツらがいたようだな!……ククク…そう来なくてはな…!!(原文:ほう神妙々々、尤こうこそ有ん)」
高野「うおおッ!!」
―――💥
💥―――
――ガキィィーーン!!――
小屋・塚本「ぬん!」
|
💥 |
💥 💥 ガチ
💥 ガチィィンン…
軍兵衛「フン!」
――🌪ブォンッ!!――
小屋「うおおッ!?…なんて力だ…!」
幸貞「…ふむ…なかなかの手練れ揃い…これはそう簡単にケリがつきそうもないな…」
…と、その時ッ!
――ピクッ!――
…幸貞は遠くで太刀が鳴る音を聴いた気がしました…。
幸貞「(…!!…何だ?…この感覚は…!?)」
幸貞は対手の攻撃をサッとかわし…
幸貞「軍兵衛ッ!…オレはオヤジ(輝幸)の様子を見に行くぜッ!!…オメーもキリのいいトコで引き上げて来いよッ!(原文:扨先陣、父の御行衛如何)」
…と言って薄根川を越え、大雲寺の辺りで坂の上を見上げました…。
…すると…!!
幸貞「…ううッ!?…やはり…気のせいなんかじゃねえ!!…この太刀の音はッ!?(原文:太刀音頻なり、怪しやゝゝゝ)」
坂を駆け登った幸貞が見たものは…
幸貞「…ああッ!…あの男はッ?」
…その男――発知宮崎の住人、木内八右衛門尉――
…彼は倉内の早鐘の音を聞くと、取る物も取り敢えず出発し、女坂の辺りで海野の一行を見つけると、輝幸のいる戸神原をめがけて駆け出したのでしたッ!――
――ズドドドドド…(走る音)――
木内「(ニタァァ~…)…能~州(輝幸)ゥゥ~…
“待”ってたぜェ!!…この“瞬間(とき)”をよォ!!」
輝幸「…!!……木内ィ~!💢……面白ぇ!…テメエとはいずれこうなる予感がしていたぜッ!!」
木内八右衛門尉といえば、利根郡ではその名を知らぬものはいないほどの強者でした…!
木内「…うおりゃああッ!!」
――ズォオオオッ!!――
…が!…海野輝幸もまた、老衰とはいえ、隠なき大力兵法の達者でした…!
輝幸は滋野の神器“茶臼割”の刀を抜き…
――ギラァァァ✨――
…木内の太刀に応戦します…!
――💥― シュッ!!
ズバッ!! ―💥――
木内「…!!…」
――ズドォオッ!――(倒れる音)※
木内「…ちッ!…チカラではアンタに敵わねぇのは分かっていた…がッ!……太刀の勝負なら負けねェと思っていたのによ~!!……どうやら太刀の長さがチト短かったみてえだな……ミスったぜ……(ガクッ…)(原文:力こそ海野殿に劣り申ども、太刀の勝負はをとるまじと常にも存候に、太刀の寸短かき故に相打に打掛たること不覚也)」
(※『古今沼田記』によると木内は腿をスパッと斬られたようですね。お互いに甲冑で武装してるからそういうトコを狙うんですね。)
――木内八右衛門48歳――利根郡に隠れなき勇者――戸神原に散る…――
輝幸「…木内…見事な敵だったぜ!…おかげでよォ……へッ!…すっかり囲まれちまったようだぜ!💦」
輝幸が小高い場所に登って確認すると、戸神原はすっかり追手に覆われていました…!
また、輝幸を心配して戸神原に駆け付けた幸貞も…
幸貞「…ふ~…オヤジ(輝幸)の心配なんざする必要もなかったが……どうやらまた敵が群がってきたようだぜ…」
…追手に囲まれるなか、幸貞は大長刀を打ち捨てると、三尺五寸の太刀を真っ向にかざし…
…蜘手十文字に追手に斬りかかかっていきます…!
幸貞「うおぉぉッ!!」
――💥― ザグゥ…
|
💥
| メゴォ!
幸貞「オラオラァッ!!」
|
💥 スパッ!
|
―💥―― シュバッ!
追手たち「ぐぎゃあああッ!!🩸🩸」
幸貞の勢いに追手たち2,000余人はたまらず退いていきます…。
幸貞「…ハァ…ハァ……」
――!!――
…その時、幸貞は自らが倒した追手のなかに、17~8歳の若武者が混じっていたのを見つけます…。
幸貞「あ…あれは!?…そんな…嘘だろう?」
…その若武者は、幸貞がよく見知る少年でした…。
幸貞「…ああ…なんてことだ!…この少年は…長野舎人ッ!!……オレはッ!…将来有望な若者を…この手にかけてしまった…!!(原文:無惨なりや長野舎人也、惜(あた)ら侍を手に掛たり)」
舎人「…ぐ…うう…!」
幸貞「…!!…舎人ッ!?…まだ息がある!」
………
幸貞「…フッ…タフなヤツだ……もし生き残ったならよぉ~……後にはきっと剛の武者になるだろうぜ…(原文:後には剛の武者なるべし)」
幸貞は長野舎人に気付の薬を使い手当てを施すと、父である輝幸のもとへと向かいました…。
幸貞「(…舎人…生きろよ…)」
(『沼田根元記』によれば、このあと長野舎人は生き残り、真田信之のお供として忍城を攻めた際に活躍したそうです。ちなみに『沼田根元記』では、可哀想だからと舎人にトドメを差そうとする幸貞を、輝幸が止めるという展開です。)
追手に囲まれつつも合流した海野輝幸と幸貞の父子…
続いてそこに佐藤軍兵衛もやってきます…。
輝幸「…おう、幸貞に軍兵衛……ハハッ!……すっかり囲まれちまったなあ💧…」
………
輝幸「…こんな時になんだがよォ…長州(幸光)の兄者が心配だぜ……そこでだ軍兵衛!…オメエに頼みがあるッ!」
軍兵衛「…?」
輝幸「オメエのこれまでの忠孝…あの世に行っても忘れはしねえ!…すぐ故郷に帰って、兄者にこのコトを伝えてくれ…!(原文:兄長州の御行衛無心許処なり、是迄の忠孝草の蔭迄難忘、早々古郷に立帰り尊兄を見奉り、此有様をも可申)」
軍兵衛「…な…何言ってんだよ?…アンタらと離れるなんて嫌だ…オレに命令するならよ…『ここで一緒に死んでくれ』って言ってくれよ~!!」
幸貞「…軍兵衛ッ!…行けッ!」
軍兵衛「…ううッ!」
――ダッ――
…軍兵衛は涙を流し吾妻へと走りました…(※)
(※この辺は原文「涙を流し御暇乞有て、軍兵衛は吾妻へ急ける」からの妄想ですが…フツーに読むと輝幸は岩櫃の幸光が亡くなっていることを知らずに、軍兵衛を使いに送ったという所ですが…既に幸光が亡くなっていることを予感していたが、軍兵衛を生かすために敢えて帰したのだとしたら…泣けますね…)
輝幸「…軍兵衛…行ったか…」
幸貞「…フッ……さて、もうひと暴れするかね!」
…と、そこへ騎馬で突っ込んでくる男の姿が見えました…!!
輝幸「…ほう!…アイツは……」
…それは討手の検視役、田口又左衛門でした…!
――バカラッ…バカラッ…――(馬の足音)
田口「…海野~ッ!…昌君(信尹)さまの作戦どおりに“チャチャっと”ってワケにはいかなかったがよォ~……ようやく追い詰めたぜ~!!」
輝幸「(ニコッ…!)」
輝幸は自分の馬を引き寄せて乗ると…
輝幸「アンタが直々に来てくれるとはなぁ~…ウレシイぜ田口どの~!!……この海野輝幸の老熟した太刀をたっぷりと体験させてやるからよォ~……閻魔さまへの“みやげ話”にするといいぜッ!!(原文:奇特なり田口殿、輝幸が老後の太刀に当り閻魔の前の物語にせよ)」
…と言うが早いか、田口の弓手(左)の腕を掴んで引き寄せます…!
――グラッ…――
田口「…ううッ!?」
輝幸「…ヒャハハッ!……『茶臼割』の刃をその身で味わいやがれッ!!(原文:茶臼割の金の味みよ)」
――ドスッ!――
田口「!!」
――ズビィィイイイーッ…――(肉が裂かれる音)
田口「ぎぃぃやあぁぁあああッッ…!!」
――田口又左衛門尉――海野兄弟粛清の検視役――滋野の神器『茶臼割』で“下切(さげぎり)”にされて死亡――――
追手の兵たち「…ガクガク((( ;゚Д゚)))ブルブル」
輝幸「さて、残ったオメエらは助けてやってもいいかな…と思ったけどよ~……田口のヤツ…地獄のツレがいねえんじゃあ張り合いがワリィやな~……ついでだからオメエらを送ってやるぜ~!!(原文:残る面々可助と思へども、田口が地獄の連なし、とてもの次てに連をまいらせん)」
追手の兵たち「いやああ~!!😱…助けて~!!😱」
輝幸「デハハハハ…!」
――💥― ズビャ!!
|
💥
| グチャ!!
幸貞「オヤジ~…オレも手伝うぜ~!!」
―――💥💥― ブォン!!
追手の兵たち「ぐぎゃああッ…!!💀💀」
(海野輝幸と幸貞の父子…『古今沼田記』や(読んでないけど)『吾妻記』だと追い詰められた悲壮感のなか討たれるんですが…『加沢記』だとマジで最後の最期までとっても元気なんですよね~。こんなのと戦わされる兵士たちは悲劇ですね。)
海野父子の勢いにビビった追手の兵たちは、一気に隊列を崩し、北野の原へと退却していきました…。
輝幸「ふゥ~💕…あ~気持ちよかった(恍惚)…ドッコイショ…と…」
幸貞「オヤジ~…“ソレ”に腰掛けるのは流石にバチ当たりじゃ💧…ま、イイか…」
海野父子は田口と木内の死骸に腰かけ…
輝幸「あ~…やっぱ武士どうしでブッタ斬り合うのってサイコー😊…今日はいい日だぜ~…」
幸貞「…うわぁ…ひとでなし(笑)……オヤジ~…さすがに迦葉山までは行けそうもねぇし…そろそろ終わりにしねえ?」
輝幸「…そうだな…じゃ、やるかね…」
――スチャ…――(お互い刀を構える音)
輝幸・幸貞「兵ものの交わり、面白の今の気色や!」
――💥― ドスッ!!
ズドッ!! ―💥――
――海野輝幸――能登守――72歳――
――海野幸貞――中務大輔――38歳――
…父子で互いに刺し合い、女坂の露と消える……
………
――ダダダッ…――(駆け寄る音)
追手の兵「…コイツら…散々暴れやがって!」
追手の兵が海野父子の首(しるし)を獲ろうと駆け寄りましたが…
昌君(信尹)「おい馬鹿…やめろッ!…そんな拾い首みたいなマネすんじゃねえよッ!」
…追手の大将、真田昌君(信尹)はこれを制止し、海野父子をその場に土葬して弔いました…。
昌君(信尹)「ふ~…コレでようやくアニキ(昌幸)からの指令を果たしたけどよ~……ヤツら3人(幸光、輝幸、幸貞)とも…バケモノ揃いだったぜ~…😮💨」
…いっぽう、輝幸から岩櫃へ向かうよう命じられた軍兵衛尉は、家来を4,5人連れて、薄根川をくだっていたところを…
追手の兵「…いたぞッ!!…佐藤のヤツを逃がすな!(原文:佐藤余すな)」
…と300余人の兵に追われていました…!
軍兵衛「…ちッ!」
軍兵衛は河原にある大きな岩に目を付けます…。
軍兵衛「…ふむ、このくらいか…」
………
追手の兵「あ…アイツ何を始めたんだ!?…まさか…」
――グググググ…💢――
軍兵衛は大岩を持ち上げると…
追手の兵「…え?…え?…💧」
軍兵衛「…フンッッ!!」
…それを追手に向かって投げつけました!
追手の兵たち「うわあぁああ!?」
――ブチゃッ…!――グチョオ…――(何人か潰れる音)
追手の兵A「…ひぃああぁ~!!」
追手の兵B「…じょおぉぉお…(失禁)」
軍兵衛「…ひゃひゃひゃッ…ホラよッ!…まだまだあるぜ~!」
🪨――ヴォォン…――
追手の兵A「助け…」💥ゴッ…
🪨――――
💥メゴォ…
追手の兵B「ちにゃ」
🪨―――――
💥ドッパァァ…
🪨―――――
💥ズゴォォン…
…と、たちまち7~8人〇された追手たちは…
追手の兵たち「(…カタカタカタ(((;゚;Д;゚;)))カタカタカタ…)」
…心底ビビッてしまい、その後軍兵衛に近づく者はありませんでした…。
…こうして軍兵衛は利根川を越え、吾妻へと帰っていきました…。
…さてまたいっぽう、中務大輔(幸貞)の妻子たちは、安中勘解由をお供に下沼田の辺りに落ち延び、そこの長広寺で西山を頼りに隠れ住んでいたのですが…
…住民の密告により、ついに居場所がバレてしまったのです!
――ガララッ!――(扉を開ける音)
藤田の手下「ヒャハハ~ッ!…ココにいたか~ッ!!…おぉ?……ふう~むん💞かわいい~~ジュルジュル…」
幸貞娘「きゃあああッ!?」
安中「この…痴れ者ッ!」
――メゴォッ!💥――
藤田の手下「あぷぱ!!」(撲死)
………
幸貞妻「…安中…もはやこうなったら…おまえの手で私たちを斬っておくれ…幸光さまの妻娘も…そうして名誉を守ったと聞く…」
安中「…そんな…!!」
その様子に気付いた藤田信吉は…
藤田「…お、おい馬鹿!…早まるな……そちらのお方は矢沢薩摩守さまの娘でもあるからよ~…きっと真田の大将も悪いようにはしねえって…な?…」
幸貞妻「………」
藤田「ホッ…(あっぶね~…💧)」
…こうして、海野幸貞の娘2人、男子1人、そして妻…合わせて4人…は、沼田城本丸の囚人蔵に押し込められていましたが、彼らは矢沢頼綱の娘と孫にあたるということで、彼のお預けの身となり、その年のうちに信州へと連れられていきました…。
幸貞の娘のうち、長女は原隼人正の長男である原監物の妻となり、次女は祢津志摩守(幸直)の室となりました…。
幸貞の男子は“太郎”といい、その年8歳でしたが、矢沢の真田に対する忠孝ゆえに命を助けられ、成長して“原郷左衛門尉”と名乗りました。
…彼はこの恩を忘れず、大坂の陣の時、真田信吉の御供として天王寺口に乗り込み、討死したそうです…。
海野兄弟と申は、吾妻三原の地頭滋野の末葉羽尾治部少輔景幸と云し人あり、嫡子は羽尾治部幸世道雲入道、二男海野長門守幸光、同能登守輝幸と申しけり、道雲入道は永禄年中生害有て舎弟二人が齋藤越前守に属しける、齋藤没落の節甲府へ忠節有て三原郷御取立あつて天正三年の夏の頃□□□岩櫃の城を被預、勝頼卿□□□□□一門悉く安堵の思をなして吾妻の守護代也、輝幸の嫡子中書幸貞は矢沢薩摩守頼綱の聟に成て幸隆卿の姪聟なり、幸貞の妹二人有り、原監物、祢津助右衛門尉の妻女也、かくて長門守岩櫃の城に居て越後南方の大敵を除き、堅固に城代なりければ勝頼卿不斜被思ける、堺目の城代なりければ年始の御礼にも参府は無かりけり、以使者被勤ける、年頭の使者差上たる節御書あり、其文に曰、
改年之為祝儀矢根到来喜悦候、猶土屋右衛門尉可申候、恐々謹言
勝頼 御朱印
海野長門守殿
かゝりける処に、天正九年の夏の頃より沼田城に藤田能州着す、二の丸北条曲輪には海野能州籠被置けるが、其頃北条安房守氏邦出張し玉いて、猪俣能登守先がけにて倉内を被責ければ、昌幸卿此由を聞食て同七月伯父矢沢頼綱、御舎弟隠岐守昌君を大将にて岩櫃に着陣有て、海野へ御兵定有て沼田え被寄ければ、昌幸卿先年人々に御恩賞深かりければ沼田地衆不残御幕下に来りければ、猪俣不叶して引返しけり、かくて世の中不定ければ海野兄弟両城を持固め玉ば、吾妻一郡は兄弟へ御渡し有んと昌幸卿御やくそく有しに、吾妻郡の内所々を給人に恩附せられければ、兄弟無覚束被思、昌幸卿え佐藤豊後、渡利常陸介、両人を使者にして被申けるは、郡内士卒恩賞の儀、向後我等兄弟の計に可仕と申されければ、昌幸卿御返答に、尤先年約諾申ごとく、貴方へ可相渡処相違なし、然ども鎌原、湯本、植栗、池田、浦野、西久保、横谷七人は除、其外は不残御被官たるべし、勿論恩賞の事も御斗たるべしと御返事有りければ、七人を不被附事難心意とて、逆心の企顕然也旨、彼の七人の加判にて湯本鎌原所より、同年十一月上旬に注進有りければ昌幸卿驚き玉て、頼綱卿に御密談有りけるに、矢沢被申けるは、海野兄弟猛勇の兵なり、南方へ組せんは必定、海野中務大輔は我が聟也、孫も三人有、不便には存といえども、惣領家をたをさん事、弓矢の妙慮如何なれば、不道不義の族は早く誅罰にしくは無と申しければ、早速此旨甲府へ注進し玉て打手を差向らる、御舎弟真田隠岐守昌君、御検使は田口又左衛門尉、川原左京、出浦上総之助、相随人々には鎌原宮内少輔、湯本三郎右衛門尉、西久保次郎右衛門、春原勘介、長野舎人、横谷左近入道、池田甚次郎、植栗河内百八十騎、雑兵一千余人、同月廿一日の午刻斗に岩櫃に御着陣有て長門守居館城にをし寄けり、長門守は其年七十五歳、老衰して不眼なり、佐藤、鹿野、蜂須賀、渡利、割田、蟻川、□谷、□□□、二ノ宮、唐山、近岡、高山、茂手木、湯本の人々、町田、神保、□□□、桑原、高橋、山田、小淵、富沢の一党を先として真田の御味方に随身して一度にどつと寄ければ、幸光眼モ盲目成りけれども居間を不退かつちうを帯し座鋪の内へ麻柄をちらさせ、敵寄来り麻からをふみ折し方を三尺五寸の太刀を以て払伐にし玉いければやにはに十四五人伏伐、残る者共四方へはつと引ければ是迄とて腹十文字にかき切、館に火をかけ七十五才を最期とし岩櫃の涙の露と消玉いける、爰に哀れと留めたるは、幸光の妻三十五、御娘十四才に成玉ふを越後国本国なれば一先落し返さんとしけれども、敵取巻ければ不叶して家の子渡利常陸介無情も害したり、哀と云も猶余り有り、昌君、田口又左衛門尉は岩櫃の城は池田、鎌原、湯本に預置、同日晩景に吾妻を打立、廿一日のいまだ明やらぬしののめに川田の郷に御着有て、発智図書、山名主水、同弥惣案内者に加り利根川の城の奉行深津次郎兵衛、塩野下野先としてかじか瀬を一度にさつと渡し、先達而昌君より小池太郎左衛門尉、上原浅右衛門尉を使者として、藤田海野の両将へ被申けるは、今度東上州へ屋形様御発向に付隠岐守奉り、沼田の勢相催し、海野の両将にて出張仕にて候也、為其申入候旨被申入、昌君は本丸に入玉いて藤田、金子、恩田、下沼田、発知、久屋の人々に御兵議有て、手立を以て輙く可討とて東上州出張の兵議可仕の間、早速本丸へ御出候へと被申遣ければ輝幸智謀の兵なりければ早色をさとり、富沢水右衛門尉を以て被申ければ水右衛門を打留けり、扨は我が身の事也、天の照覧もあれ無逆意処に侫人の為に讒せられたり、今一度使を立て異心なき由を申開んと、安中勘解由を遣しければ、本丸の橋に兵出向て待掛けける程に、はやりきつたる士卒踏込み討けるに、安中を橋下へ打をとしけり、安中は手も不負堀を下り落たりけり、能州は子息中務太輔を呼で被申けるは、縦百万騎にて囲むとも打被らん事安けれ共、無逆心ければ迦葉山へ参り申わけ致さんとて、都合百五六十人相伴い、門を開て出ければ今明より集りたる沼田信州勢二千余人の者共、左右にわかつて通しけり、輝幸は家重代の茶臼割と申三尺三寸の太刀佩き、火威とう丸、鍬形打たる甲の緒をしめ、七寸余の市城黒に朱鞍を引かせ打乗、真先に嫡子中務太輔、家臣庄村山城、小桜威の鎧を□なり甲のをしめ、あし毛の馬に貝鞍をかせ沼田打の三尺五寸の太刀はき、大長刀をうちかたげ妻子を伴ひ、父に五反計引下がり、関東に隠なき吾妻折田の住人佐藤将監が猶子佐藤軍兵衛尉を相供い、静にこそ退られけり、真田昌君、藤田信吉、恩田越前、下沼田道康、発知刑部少輔、同図書、山名主水、金子美濃守を始め二千余人、城を払て打て出ければ中務太輔は□□□さゝゑて寄来る敵を待かけたり、昌君、信吉一手に成て二千余人、をめいてかゝりければ海野につこと打笑い、あらことゝゝしや五十人に足らぬ敵に、多勢以て来り玉ふはついえやならむ也、吾と佐藤控へければ、千二千の人数にては面白し、少々人数を残し置りとゆい捨て、大長刀を水車に廻し掛り玉いければ、佐藤は八角の棒のすじかね渡したるを常の人は二人にて持けるを打振てかゝれやゝゝゝゝとをめひてかゝりければ、千余人一度にどつと引立て、あたご山にそ引退く、二陣に続く発知、山名、下沼田、恩田、金子が勢五百余人、をめいてかゝりければ海野殿被申けるは、先刻多勢にかゝり合草臥たり、少々御待候へとて鎌倉坂の清水をくみ寄呑玉いて小塚の上にかけ上り、佐藤と両人いねむりしてぞ見えたりけり、かゝりける処に、高野車、小屋弥惣、塚本肥前、高橋右馬允、林太郎左衛門、吉野太郎右衛門、内田五兵衛、深津次郎兵衛、小保方半左衛門ぬきつれてかゝりければ、両人きつと見玉いてほう神妙々々、尤こうこそ有んとてしばし戦玉いしが互に手きゝの兵なれば勝負なくしてさつと引、扨先陣父の御行衛如何とて薄根川を打越大雲寺の辺にて坂の上を見玉いければ太刀をと頻なり、怪しやゝゝゝとてかけ上り見玉いければ発知、宮崎の住人木内八右衛門尉、倉内のはや鐘のをと聞付取物も取あへず出けるが、女坂の辺にて此由を見て戸神原へ駈出し輝幸に走向い戦ける、利根郡に隠なき兵なりけるが海野は老衰とは申せども、隠なき大力兵法の達者也ければ茶臼割の刀を以て相打ければ無ざんなり、木内打伏られ申けるは、力こそ海野殿にをとり申ども、太刀の勝負はをとるまじと常にも存候に、太刀の寸短かき故に相打に打掛たること不覚也、是をさいごの言葉にて四十八才を一期として終に戸神原にて失にけり、能登守は小高き処に打上り、軍の様子を見て居玉いける、寄手の人々戸神の原におしかけ、海野父子を取廻きければ、中務長太刀を打捨て三尺五寸まつこうにかざし、くも手十文字に切て廻り玉いば、二千余人一度にはつと引退きければ、爰に十七八の若武者、手疵数多負草村に打臥たり、中務太輔見玉いて、無惨なりや長野舎人也、惜ら侍を手に掛たり、後には剛の武者なるべしとて気付の薬など用て、父のまします所に立寄玉いければ、佐藤も続いて来りける、能登守被申けるは、兄長州の御行衛無心許処なり、是迄の忠孝草の蔭迄難忘、早々古郷に立帰り尊兄を見奉り、此有様をも可申とてなみだを流し御暇乞有て、軍兵衛は吾妻へ急ける、かゝりける処に、田口又左衛門駒かけし、海野父子に討てかゝりければ、輝幸につこと打笑い駒引寄打乗、奇特なり田口殿、輝幸が老後の太刀に当り来世閻魔の前の物語にせよと云より早く田口が弓手のかいなをかいつかみ引寄、茶臼割の金の味見よとてさげ切にぞしたまいけり、残る面々可助と思へども、田口が地獄の連なし、とてもの次てに連をまいらせんとて駈玉いければ此威にへきゑきして追手の人々一度に崩なびきて北野の原へ引退く、輝幸父子は田口、木内か死骸に腰打かけ、兵ものの交わり面白の今の気色やと父子同音に謡い、輝幸今年七十二、幸貞三十八、忽ち刺違て女坂の露と消玉いける、昌君の手の者馳寄て首を捕らんとしたりけるが昌君是をおさへて彼所に土葬にぞしたりける、かくて軍兵衛尉は郎等四五人召連、薄根川を下り落けるが、佐藤余すなとて三百余人追かけたりけれは、佐藤河原の大石投かけければ矢庭に七八人打殺されければ、近付者こそ無りけれ、かくて利根川を打越へ吾妻へこそ立帰る、いたはしや中務太輔の妻子は安中勘解由御伴に参らせ下沼田の辺に落て、長広寺え走入玉いて西山を頼て有りけるが、所の者共の訴人に出て藤田是を生捕けれは、御娘二人男子一人母子四人、本丸のしう人蔵におしこめられをはしましけるが、矢沢の御娘なりしにより矢沢殿へ御預有て其年の内に信州にぞ参ける、此娘長女は原隼人正の長男原監物の妻と成、次は根津志摩守の室と成る、男子太郎と申其年八歳に成玉いけるが、矢沢の忠孝故御助有て成長の後、原郷左衛門尉と名乗ける、此厚恩不浅とて大坂陣の時、真田信吉卿の御供して天王寺口に乗込打死す。